2008年9月 Bunkamura『ジョン・エヴァレット・ミレイ展』

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スコットランドの森にたたずむ紳士は ジョン・エヴァレット・ミレイ。 英国を代表するヴィクトリア朝の画家です。

マティスとボナール展」でも、彼らの肖像写真に、 存命中に認められた画家としての余裕と風格を感じたけれど、 ミレイの威厳はそれ以上。 それもそのはず、世襲制爵位(准男爵)を授けられたはじめての英国人芸術家なのですから。

 

著名人と親交があり、肖像画の依頼が引きも切らなかった人気画家であったため、 彼の作品の多くはイギリス国内にとどまっています。

 

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たとえば、1877年に撮られたこの写真は、左からルパート・ポター、W・ブラウン、ジョン・エヴァレット・ミレイヘンリー・ジェイムズと並んでいます。 当時の流行で、みんなひげもじゃ。。。

ルパート・ポターは、『ピーター・ラビットのおはなし』の著者、ビアトリクス・ポターの父であり、先日『トールキンのガウン―稀覯本ディーラーが明かす、稀な本、稀な人々』でミレイとの親交について読んだばかり。

 

トールキンのガウン―稀覯本ディーラーが明かす、稀な本、稀な人々

トールキンのガウン―稀覯本ディーラーが明かす、稀な本、稀な人々

 

 ヘンリー・ジェイムズは、この時代にイギリスで活躍をしたアメリカ生まれの小説家です。 さらには、テート・ブリテンの創設者でもあるテートのお気に入り画家。

 

そのため、ミレイに影響を受けたゴッホは 「イギリスの画家たちが見たくてたまらない。僕らはほんの少ししか見ていない。 なにしろ大部分はイギリスにあるのだから」と弟のテオに書き送ったそうです。 そのような背景により、現在東京で開催中の回顧展は、 テート・ブリテンとオランダのゴッホ美術館で好評を博したのち、 北九州を経てやってきました。

 

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≪ジェイムズ・ワイアット・ジュニア婦人と娘のサラ≫ 1850年 油彩・板(マホガニー材) 35.3×45・7 テート

1829年イングランド南部のジャージ島に生まれ、神童と謳われたミレイは 11歳でロイヤルアカデミー美術学校に入学し 1848年には、ロセッティらと「ラファエル前派兄弟団」を結成します。

なんたってアンチに基づく「前派」なのですから、 背景にラファエロの版画を描いたのは主義主張の表明。 けれども、私は単純にサラの愛らしさに見とれました。 黒い背景に浮かび上がる白いドレス、サッシュと型のリボン、頬の薔薇色に釘付け。

 

Mariana 1850-51.jpg

マリアナ≫ 1850-51年 油彩・板(マホガニー材) 59・7×49.5 テート

 テニスンの詩に描かれた、婚約者に捨てられた女性ということですが 藍色のドレスの美しさと、精緻に描きこまれたステンドグラス、窓辺の刺繍、 壁紙、床のネズミを隅から隅まで眺めちゃう。

左側から差し込む窓の光をうけた 青い衣装の女性というと、 うーんフェルメールを思い出す なんてことも考えて。。。。。

 

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≪オフィーリア≫ 1851-52年 油彩・キャンバス、上部アーチ型 76・2×111・8 テート

何度も何度も「見たい」と言っていたオフィーリアが目の前に。

このブログでは、このままどんぶらこっこと皇居のお濠まで流れ着いておばあさんに助けられ、鬼が島で鬼退治することになっていますが この絵がたどってきた旅路を考えると、あながち間違ってもいないのである(笑)

美しいモデルは、後にロセッティの妻となったエリザベス・シダル。 制作過程で湯を張った浴槽で長時間ポーズをとった彼女が風邪をひいたという エピソードが有名ですが、私が「おぉ!」と思ったのは この作品が1855年のパリ万博に展示され、ミレイの国際的評価を高めたというエピソード。 そっかぁ・・・ボルドーの格付けが行われたのと同時期な作品のね。 (↑ワイン馬鹿・笑)

それはさておきこの絵は シェイクスピアの『「ハムレット』第五幕第一場で妃が語る場面が描かれています。

ハムレット (新潮文庫)

ハムレット (新潮文庫)

 

 以下は福田恆存訳、新潮文庫からの引用。 

 小川のふちに柳の木が、白い葉裏を流れにうつして、斜めにひっそり立っている。 オフィーリアはその細枝に、きんぽうげ、いらくさ、ひな菊などを巻きつけ、 それに、口さがない羊飼いたちがいやらしい名で呼んでいる紫蘭を、 無垢な娘たちのあいだでは死人の指と呼びならわしているあの紫蘭をそえて。 そうして、オフィーリアはきれいな花環をつくり、 その花の冠を、しだれた枝にかけようとして、よじのぼった折も折、 意地悪く枝はぽきりと折れ、花環もろとも流れのうえに。 すそがひろがり、まるで人魚のように川面をただよいながら、 祈りの歌を口ずさんでいたという。

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さらに、第四幕第五場のオフィーリアの台詞で語られた花も描かれています。 "まんねんろう"は、ローズマリー、"ういきょう"はフェンネル

そしてこの花はオフィーリアが「いやらしい」と形容した、おだまき。

うーん、好きなんだけど。。。。

 

オフィーリア (レイアーティーズに)これがまんねんろう、あたしを忘れないように -ね、お願い、いつまでも- お次が、三色すみれ、ものを思えという意味。

レイアティー 狂気にも教訓があるのか。ものを思うて忘れるなというのだな。

オフィーリア (王に)あなたにはおべっかのういきょう、それから、いやらしいおだまき草。 (妃に)あなたには昔を悔いるヘンルーダ。あたしにもすこし。 これは安息日の恵み草ともいうの -あら、だから、あなたとは意味がちがうわね。 まだ雛菊があるわ。でも、あなたには忠実なすみれをあげたかった。 それなのに、こんなに萎れてしまって。 お父様が亡くなったからよ -いい御最期だったのですってねぇ-(歌う)

 

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1851年の7月から11月まで5か月を費やしてサリー州の川岸で描いた背景には 対岸の柳(見捨てられた愛、愛の悲しみ)

 

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ノバラ(喜びと苦悩)

 

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ミソハギ(純真な愛情、愛の悲しみ)

 

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そして、画面の手前にはワスレナグサ(私を忘れないで)

英語名も花言葉と同じforget me notで、台詞はかけ言葉になっています。

 

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12月にロンドンに戻ってから描かれたオフィーリアと

その人物像をあらわす植物は 首に巻かれたスミレ(誠実、貞節、純潔、若い死)

エストのあたりに漂うケシ(死)、ヒナギク(無邪気)、ナデシコ(悲しみ) パンジー(もの思い、かなわぬ愛)

 

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足元を流れるバラ(愛)

心をとらえて離さないオフィーリアの表情は 機会があれば、いちど本物と対面することをお勧めします。

 

The Orde of Release,1746 1852-53.jpg

≪1746年の放免令≫ 1852-53年 油彩・キャンバス、上部アーチ型 102.9×73・7 テート

この作品のモデルはミレイの妻のエフィー。

クールな美女は 出会ったときは人妻。

描かれた翌年に離婚が成立し、ミレイと結婚。 というのは、図録の説明による後付けの知識。

展示室ではそーんなこととは露知らず、 ドラマチックな画面に圧倒されていました。

イングランド兵の制服の赤、 スコットランド人のタータンのキルト、 そして犬の毛並みのリアリティ。 尻尾がぶんぶん振られているような錯覚さえ覚えます。

 

L'Enfant du Regiment 1854-55.jpg

≪連隊の子ども≫ 1854-55年 油彩・板に裏打ちされたキャンバスに張られた下塗りした紙 46・7×62.2 イェール英国美術センター、ポール・メロン基金

戦闘のさなかの静寂は墓碑の上。 負傷した少女にかけられた歩兵の制服。

うー、可愛い♡ ミレイの描く女の子は本当に可愛い。

持って帰りたーい (↑犯罪です・笑) と思った絵。

ここまで観てきた過程で感じたのは、 女の子の愛らしさももちろんのこと、 ミレイの白の素晴らしさ。 それはこの先もさらに続きます。

 

Waking 1865.jpg

≪目ざめ≫ 1865年 油彩・キャンバス 99×84 バース博物館/美術館、バース・アンド・キンロス・カウンシル(スコットランド)

めちゃくちゃ可愛い♡ この絵は「ファンシー・ピクチャー」という親しみやすさをめざしたジャンルに属すのだそうです。

モデルは次女のメアリー。

末娘のキャリーがモデルを務めた≪眠り≫という絵と対をなしています。

この「ここどこ?」という寝ぼけた寝起き顔がたまらなーい。

そして、白い枕、ナイトガウン、上掛けの織りと房飾りの白の精緻な描写に 見惚れてしまいます。 すごいなぁ・・・ミレイ。

可愛い絵だからって手抜きは一切なし。

 

Scotch Firs 1873.jpg

≪ヨーロッパアカマツ「孤独な森の静寂」-ワーズワースの詩より≫ 1873年 油彩・キャンバス 190.5×143.5 個人蔵

妻と出会った思い出の地であるスコットランドで描いた風景画は、 冒頭の肖像写真の背景とそっくりの森。

顧客からの依頼によるものでなく、自分のための絵。 本当はこういうのが好きだったのね。

ゴッホが「ぼくはイギリスの画家たちが見たくてたまらない」と弟のテオに書き送った年の作品です。

 

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≪エヴェリーン・テナント≫ 1874年 油彩・キャンバス 107.9×80 テート

上流階級の肖像画も多く手掛けていますが、 その中でも、とびきりの美人。

知的で、うーん、もしかして少し人見知り? ・・・とモデルの内面を想像させる絵。

こんなに魅力的に描いてもらえるならば、 依頼がひきもきらなかったというのも納得。

 

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≪国王衛士≫ 1876年 油彩・キャンバス 139.7×111.8 テート

130年後の現在も変わらないビーフ・イーターの制服に身を包む男性は 解雇の通知を手にしています。

静かに現実を受け容れる眼差しは 空を見つめて何を考えているのでしょう。 雄弁な白だけでなく、赤もドラマチック・・・

 

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≪名残りのバラ≫ 1888年 油彩・キャンバス 129×87 ジェフロイ・リチャード・エヴァレット・ミレイ・コレクション

≪目ざめ≫の少女、メアリーが成長した姿です。

憂いを帯びたその姿はトマス・ムーアの同名の詩にちなんでいます。

薔薇色にとけこむ端正な横顔が印象的。 描くミレイの、父としての穏やかな愛情に満ちた視線も感じられます。

描かれたのは爵位を得た1885年の後。

 

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≪あひるの子≫ 1889年 油彩・キャンバス 121.7×76 国立西洋美術館

あーっ、上野に会いに行こうと思っていたら、 渋谷にいたのね!と再会した国立西洋美術館の収蔵品。

あひるの子は、 晩年の作品だったのですね。 ミレイの作品としては珍しく、アメリカのコレクターから日本へと渡りました。

ということは ポストカードを航空便のお守りにして 海を渡ってもらったのは適役だったのかも。

 

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≪穏やかな天気「寒さの後の小春日和を、嵐の後の凪をお待ちさない」-『ヘンリー四世』第1部第2幕第2場≫ 1891-92年 油彩・キャンバス 167×88 ジェフロイ・リチャード・エヴァレット・ミレイ・コレクション

これは展示室の最後の作品。 世界中を旅した故プリンセス・ダイアナが、世界一美しいと言ったスコットランドの風景です。

右手前の枝に、ちょこんととまったカワセミがお茶目。 初期の作品でも、その位置にネズミや菫の花があったね。

 

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≪しゃべってくれ!≫ 1894-95年 油彩・キャンバス 167.6×210.8 テート

恋人の幻影に語りかける男性は、物語性のある最後の大作だそうです。

愛する男性を目の前にして・・・・ 「えっ・・・・声が出ないなんて」と幻影となってしまった我が身に気づかない女性 というようにも思え。。。。

この年にはロイヤル・アカデミー会長となり 翌1896年に67歳で永眠。

 

また行くかも。 Bunkamura  

ザ・ミュージアムにて10月26日まで開催中。

公式HPはこちら