ブルガリアのダマスクローズについて
母が華道師範、父方には花屋が3軒、という環境で切り花に囲まれて育ったにもかかわらず根のある植物を好み、長年の趣味はガーデニング。ひとくちにガーデニングといっても、季節ごとの草花を楽しむタイプや、観葉植物や多肉植物、野草、蘭など、ある特定の植物を集中的に育てるタイプがあり、なかでもバラを偏愛する園芸家はロザリアンと呼ばれます。ロザリアンであった一時期、我が家のベランダはバラの鉢植えで埋め尽くされていました。
ロザリアンだった頃の我が家のベランダ
時を経て、旅の目的地は震災後の被災地やバルカン半島に移り、多忙で顧みる余裕のなくなったベランダのバラは、哀しくも病害虫で絶滅。現在ではハーブをメインとしたキッチンガーデンに様変わりしています。
育てることのなくなったバラの知識は、頭の片隅に追いやられていましたが、この春突然、必要不可欠に!営業自粛に伴い開設したオンラインショップで、ブルガリアのバラ製品を取り扱いをはじめ、商品知識として新しい角度から学びはじめました。
世界最高品質を誇るブルガリアのダマスクローズ。無農薬栽培や、ワインや養蜂など、キリスト教世界の食文化を調べるうえで必ず登場する修道院とのかかわりなど、興味はつきません。諦めていた「聖地詣で」の目的地は、フランスからブルガリアの「バラの谷」へと進路を変え、現実味を帯びてきました。人生とは不思議なものです。
長い前置きとなりましたが、以下、長年の園芸や美術愛好家としての知識と、精油の生成や効能などは最近の知識。ひさしぶりの長文ですが、今後も加筆修正していきます。
File:Sandro Botticelli - La nascita di Venere - Google Art Project.jpg
- バラの歴史
バラと人類の関わりは紀元前3000年頃に粘土板に記述された古代メソポタミアの“ギルガメッシュ叙事詩”にさかのぼります。古代ギリシャ、ローマ、エジプト、イスラム世界などバラに関する神話が多く存在し、実際に儀式用、薬用、香粧用に多用されてきました。クレオパトラや、皇帝ネロのバラ好きも有名です。
Rosaの語源は、ギリシャ語で「赤」を意味するrodon。真紅のバラの色はギリシャ神話の草木の神アドニスの血の色を映すといわれます。紀元前1200年頃のバビロニア地方には、バラ栽培が行なわれていた史実があり、そのバラがダマスクローズといわれています。古代ローマにおいてもバラの香油は愛好され、北アフリカや中近東の属州で盛んに栽培が行われていました。キリスト教において赤いバラは殉教、白いバラは聖母マリアの純潔の象徴とされますが、中世ヨーロッパでは、人々を惑わすものとして禁じられ、修道院内で薬草としてひっそりと栽培されていました。ルネッサンス期に、ヨーロッパ各地の上流階級の間で庭園づくりが広まるとともにバラも復権し、ボッティチェリの「ヴィーナスの誕生」には、白いバラが描かれています。
Дамасцена и Казанлък
- ダマスクローズについて
ブルガリアが主産地であるダマスクローズ(Rose Damasenaローズ・ダマセナ)はブルガリアン・ローズとも称され、栽培用のため野生には存在しません。アジアを起源とした品種で、古代ギリシャの歴史家ヘロドトス(紀元前485年頃~)が「他のばらに優る芳香を放つばら」として記述を残していることなどからも、栽培の歴史は相当古いものであることが推測されます。「ダマスク」の名はシリアの首都ダマスカスを由来とし、白バラはムハンマド、赤バラが唯一神アッラーを表すとされるイスラム世界から、十字軍の兵士によりヨーロッパに持ち込まれたとも言われています。
Four Seasons of Italy (Rosa damascena Italica) from Les Roses (1817–1824)
ダマスクローズ種は過去に原種とされていた歴史もありますが、現在は系統的にロサ・ガリカ(Rosa gallica)とロサ・モスカタ(Rosa moschata)、あるいはロサ・フェドチェンコアナ(Rosa fedtschenkoana)ともDNAの関連があるとされ、交配による二代目品種と考えられています。灰緑色の5枚葉(あるいは7枚葉)をつけ、細めの枝が曲がりくねって伸び、高さ2mほどになる落葉性低木です。ピンクから薄紅色の花は開花からしだいに退色し、白に近くなります。中国から渡来したロサ・キネンシス(Rosa chinensis)よりも際立った芳香を持つため、香料としてブルガリアをはじめ、モロッコやトルコ、中国、イタリアなどで生産されています。
ダマスカスからトルコ経由でバラの谷へ
- バラの谷
古来よりブルガリアでは、村々の医者や修道院などで伝統的な自然薬として用いられました。第二次世界大戦後、化粧品産業の成長とともに香料としてのバラが注目され、ローズオイルの需要は増大。社会主義国家の保護のもと、厳しい管理体制で世界一の品質を守り続け、ブルガリアのローズオイルは世界の香料用バラ生産の7割を占有するまでに成長をとげました。
カザンラク( Kazanlak)は、ブルガリア南部、バルカン山脈とスレドナ・ゴラ山脈の間に東西120キロに広がる「バラの谷」と呼ばれる地域に位置する町です。この地の温暖で湿潤な気候と水はけのよい地質はバラの生育に適し、谷のあちこちに広大なバラ畑が広がっています。オスマン帝国下の15世紀、オスマン人たちがシリアのダマスカスで育てていた「ダマスクローズ」を持ち込んだといわれ、ここがヨーロッパにおけるダマスクローズ栽培の起点と考えられています。現在、カザンラクにはバラ博物館が開かれ、バラが見事に咲き誇る6月のバラ祭りには、世界中から観光客が訪れています。
「バラの谷」で栽培されているロサ・ダマスケナ・トリギンテペタラ(Rosa damascena trigintipetala)は、ダマスクローズの中でも香りが強いことで有名な品種で、地名からカザンリク(Kazanlik)とも呼ばれています。開花期の午後から翌朝にかけて降るスコールが、香り高いバラを育てる重要な要素となっています。
カザンリクは35弁ほどの丸弁咲きで、花色は濃淡が出る明るいピンク。香水や化粧品だけでなく食用にも適しています。開花は5月下旬から6月上旬にかけてのたった20日ほど。その間バラ農家は一家総出となり、夜明け前の早朝4時頃から花が開く前の数時間に季節労働者の手も借りながら、香りを蓄えたつぼみの収穫をします。ひとりあたりの収量は1日およそ30-50kg。繊細なダマスクローズは、機械ではなく、全て人々の手作業によって丁寧に一本ずつ摘みとられ、ブルガリア全土ではおよそ1300kg 、20億輪が、延べ10万人により香料として生産され、主にフランスに輸出されています。
- 香りと成分について
香料の世界では、バラ、ジャスミン、スズランが世界三大花香といい、バラはそのなかでも「女王」と称されます。バラの香りは5-600種類以上の成分から構成され、バランスや量によって甘い香りや優雅な香りなど奥深い芳香が生まれます。ダマスクローズの香りは、一般に「ダマスク香」と称され、華やかさと高級感をあわせもっています。また、硫黄化合物が微量に含まれていることも特徴で、これが全体を包み込むような役割をしています。
香水やアロマ以外に、入浴剤、化粧品、石鹸類、お酒や飲料の香りづけなどにも活用され、中世ヨーロッパでは「不老長寿の薬」や「若返りの薬」として、貴族の間でもてはやされました。当時使われていた植物性の薬には、バラの成分を含んだものが多く伝えられ、19世紀初めにブルガリアの「リラの僧院」が発刊した治療ガイドにもその記録が残されています。薬用バラの花びらを原料として作られた薬は、胃の消化薬や下剤、鎮静・頭痛薬、各種炎症、眼病、皮膚病、呼吸器系アレルギーの治療に用いられました。バラの実から取り出した果肉を砂糖と混合・調整したものも慢性病に効く薬として売られていました。
・精油について
下の映像は「バラの谷」での実際の収穫と精油生成の様子です。ローズオイルの生成法は、10世紀にペルシャの錬金術師アウインケナにより発見されました。世界最高品質の精油といわれるダマスクローズ精油は、ローズ・オットー(Rose otto)と呼ばれ、水蒸気蒸留法により生成されます。この時ローズの香り成分として含まれているフェニルエチルアルコールやベンジンアルコールは水に溶けやすいため蒸留水中に溶け込み、精油中にはほとんど含まれません。2~3000本の花からたった1gしか抽出できず、その希少さから「ローズオイルはプラチナよりも高価」と言われています。精油はトルコや中国などでも生産されていますが、ブルガリア産が最高級品とされ、高値で取引されています。
Thracian Plain, Bulgaria: Valley of the Roses
そのむかし、ローズジャムは薬だった?!
お終いに、「バラの谷」カザンラクのプロモーション映像をご紹介。
ひとびとの雰囲気や衣装、音楽など隣国のセルビアと共通する部分が多く、親近感を覚えます。
Магията на Българската роза | [Official 4K Video]
バラ製品も取り扱うオンラインショップはこちらから。
ブルガリアコラボのBalkan Nightにて
営業自粛が続きますが、ふたたび皆さまにお会いできる日を楽しみにしています。