「日本セルビア現在美術交流展―遠くへ Japan-Serbia Exchange Exhibition in Tokyo」
3月5日㈫から14日㈭にかけて開催された「日本セルビア現在美術交流展―遠くへ Japan-Serbia Exchange Exhibition in Tokyo」に、「協力」というかたちで参加しました。
昨年の秋の終わりごろ、「セルビア語の練習にもなるし」とお声掛けいただいたときは二つ返事で前のめりに承諾。主な内容は今回来日されるミラン・トゥーツォヴィッチさんのサポートメンバーということでしたが、3月までには言葉もきっと上達しているはずだし、という心づもりが甘かった。
1月中旬には日本の受け入れメンバー顔合わせを兼ねた新年会で、ミランさんの滞在先である小網代の倉重光則さんのアトリエから品川のセルビア大使館までアテンドすることに。
とはいえ、この頃からセルビア語のあまりの難解さに心が折れかけてきておりまして。
2月の来日が近づくにつれ「ミランさんはセルビア語しか話せないっていうし。なんで
引き受けちゃったんだろう。。。。」どんどん気が重くなっていました。
そして、2月下旬にミランさんがスケジュールより1日遅れで来日。
待ち合わせの三崎口で "Dobor dan. Ja sam kuvarica. Moja specijalnost je srpska kuhinja."(こんにちは。わたしは料理人です。専門はセルビア料理です)と、ひとつ覚えの自己紹介。すると「セルビア語が話せるの?」と予想以上に感激してくれて、こちらの緊張も一気にほぐれたとはいえ少しだけしか話せない。そこから先は英語とGoogle翻訳でのコミュニケーション。
「セルビア料理ができるの?そういえば、あなたのこと聞いたことあるよ。」
2年前にイェレナとケータリングのコラボをした「セルビア・日本現代美術交流展」の際のセルビア人アーティストはミランさんの娘さんだったそうで、共通の知り合いを介して日本にひとりセルビア料理の専門家が居ることをご存知でした。
えーーーっ、びっくり。
嬉しすぎるんですけど。
この時期の三浦は桜祭りの時期にあたり、アーチストに満開の桜を素通りさせるのは忍びない。
時間に余裕があったので、ひと駅で下車して河津桜の並木をご案内。
そういえば、セルビアに海はない。
お隣のクロアチアに行ったとき、アドリア海のあまりの穏やかさにびっくりしたっけ。
ミランさんに尋ねたところ、釣りには行ったけれどビーチにはまだ行っていないということだったので海岸にご案内。
ざぶーん、ざばーん、という太平洋の波に触れたり、貝殻を拾ったり。
三崎口駅から品川駅までの京浜急行の車内で何を話せばいいのだろう。。。
そもそも言葉が通じる?と前日までの不安がどこへやら。
好きな食べ物や、共通の旅行先など話題が尽きず、あっという間の大使館への道のりでした。
そして3月5日の「日本セルビア現在美術交流展―遠くへ Japan-Serbia Exchange Exhibition in Tokyo」オープニング。
セルビア女性を描いた作品の部分
倉重さんのアトリエで滞在中に完成された古賀さんがモデルの作品。
三浦ではあんなに気さくに接してくれて、ラーメン屋さんまで付き合わせてしまったけれど、ミランさんってこんなにすごい人だったんだ。。。。
と、びびりつつも前回お会いしたときに撮れなかったツーショット写真をねだる。
3月9日は高橋ブランカさんの講演と翌日帰国するミランさんの送別会。
「セルビアは天才の国です」と、テニスプレイヤーのノヴァク・ジョコヴィッチ、発明家のニコラ・テスラ、映画監督のエミール・クストリツァ、ティトー大統領を紹介。
ユーゴスラヴィア崩壊から情報戦とNATOの空爆に至る経緯、コソヴォの問題。
そして世界遺産にまで及び、セルビア的なユーモアと自負と自虐が魅力たっぷりにミックスされた素敵な講演でした。
打ち上げ&送別会場はケータリングでもお世話になったことのあるSteps Gallery。
ミランさんの作品をどこかで目にしたような記憶があると思ったら、そのグループ展で展示されていたんですね。
ゆかりのメンバーが集まり、再会の喜びと次の再会の約束を重ねあい、名残惜しい時間。
実はこの日はわたしの誕生日でもありまして。
ミランさんに「きょう誕生日なんだ」と言ったら「25の、だろ」と言われたので
そういうことにしておきます(笑)
この企画展の準備と会期中の日々も、大きなプレゼントだったかもしれません。
若いときだったらクラスルームで涙していたかもしれないと、難解なセルビア語学習に心が折れかけていましたが、もう少し頑張れそうな気がしてきました。
リラックスした環境にいると、特にお酒が入ると(笑)言葉がスラスラと出てくるではないですか。
そういえば、英会話も、教室よりも休憩時間やその後の居酒屋での先生との雑談で身についた部分が大きかったことを思い出しました。
みなさま、いつもありがとうございます。
嶋田紗千さんはじめ、お世話になりました関係者のみなさま、
ありがとうございました。
今後ともよろしくお願いいたします。
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