2013年7月 岩手県陸前高田市
帰宅後に数えたところ今回が18回めの東北行きでしたが、
(その度ごとに出会いに恵まれ感謝♡)
ボランティア仲間との乗合が多いため、
旅行会社のツアーに参加するのは2011年の12月以来。
何と言っても旅行会社ならではの、
暗い鍛冶橋駐車場でツアーバスを探すドキドキや、
初対面の人ばかりの行きのバスの緊張や早朝の班分けと自己紹介、
夜の懇親会の盛り上がりが懐かしい。
そして、宿泊地である内陸の花巻と作業場所である陸前高田の対比が
東北の自然の美しさと恐ろしさを際立たせ、
2011年の記憶を呼び覚まし初心に帰る旅となりました。
お見送りに来てくれたみんな、ありがとー!
バスの中の空気も和んでました(^^)
岩手の新花巻駅に到着しました。
こちらは雨が降っていて涼しい。
ワッシーも到着です。
今日ボランティア作業ができるかは、サポートステーションで確認してみないとわからないそう。
ここは宮沢賢治のふるさと。
大好きな、めがね橋の風景。
津波で押し寄せた潮が抜けない陸前高田市内の沿岸部は葦の原となっていました。
ボランティアセンターで道具を調達。
角スコップに剣先スコップにツルハシ、バール、バケツ。
そして「どぶ太郎君」も忘れずにね。
市内の中心部で側溝の清掃作業開始。
今回も「どぶ太郎君」大活躍!を期待して来ましたが、全てのフタがグレーチングでした。
バールとツルハシで男性陣が大活躍!
持参の”お砂場スコップ”で枠の周囲の泥を掻き出し、隙間ができたところで男性陣がバールとツルハシで、ぐいぐいぐいっとね。
開いた~!!!
堆積した海砂を掻き出すうちに、溝の奥からごぼっごぼっという音が聞こえ、それまで淀んでいた水が流れ始めました。ようやく達成感が出てきました。
お砂場スコップで仕上げ掃除をしてをして再びグレーチングを閉めます。
うむむむむ。
作業場所に到着してみると、上部がコンクリートで埋められて、ところどころがグレーチングで蓋をされた側溝。
そして、その週に降り続いた雨で水が満たされており、難易度高っつ!!
今回の作業場所はNTTの角をまがったこのあたり。
3月11日に作業を行った場所から1本奥でした。
1か所の穴から掻き出した砂が、こんもりと積みあがりました。
雨が強まったため午前中で作業は終了となり、物産センターの駐車場に停車したバスの車内でお弁当の昼食。
この物産センターに初めて入りましたが、ほかでは見たことのない品物がいろいろ並んでいて面白かった!
ふたたび瓦礫の山の残る市内を抜けて
道の駅、高田松原に到着。
見慣れた場所ですが、この場所で車を降りるのは初めて。
最近できたという追悼施設で手をあわせ
道の駅の建物中央に見えた暗がりに近づいて言葉を失う。
津波の爪痕が生々しい場所が残っていたんだ。
左脇から上部中央にかけて松の幹が貫いています。
外部に垂れ下がる配管。
建物右側の空間にはむき出しの鉄骨。
沿岸部で働く私は身につまされる光景。。。
宿泊の渡り温泉から、陸前高田のサポートステーションへ向かう途中に、大坂ママのお茶っこハウス前を通過。
草伸びてます。
ちらっと見えた花壇のヒマワリも育ってます。
そしてバスはふたたび内陸へ向かい
増水した気仙川で釣りをしている人かげが多く見えましたが何の漁だったんだろう。
渡り温泉で夕食。ひさしぶりの上げ膳据え膳。
そして、わっしー主催の懇親会は23時まで続きました。
二日目の作業に陸前高田へ戻ります。
津波が4階まで押し寄せた雇用促進住宅はモニュメントとして保存されることが決まっているそうです。
桁だけのこった橋の横をぬけ
2日めの作業は、吉田さんの「花っこ畑」の手入れのお手伝い。
この場所は津波で流されたご自宅跡につくられた庭だそう。
竹のゲートをくぐって内部へ進むと、可憐なイングリッシュガーデンが広がっていました。
その日はプロのカメラマンが撮影中。
邪魔にならぬように雑草を抜きます。
増水していますが、池もあり
緻密に設計された色彩の茂みの奥には盛り土とパワーショベルが見え、ここが被災地であることを忘れることは難しいけれど
ベランダでガーデニングをしていると、常に植木鉢の限界に向きあわざるを得ないため、いつか大きな庭の手入れをしたいというのが夢だったので・・・・まさかこういう形で実現するとは。
夢というのは大切にあたためていれば、そうとは気づかないうちに叶うものなんだね。
このあたりのスギナと笹の芽を淡々と無の境地で根こそぎに。
秋には花粉で苦しめられるから、今のうちに根絶しないとね。
こちらの庭はイギリス人のデザイナーの設計によるものだということですが、残念、入れなかった。
作業後は真下まで行けるようになったという一本松へ。
献花台もできていました。
書道のパフォーマンスの姿もありました。
同行のみなさま、東北で受け入れてくださったみなさま、
そして名鉄観光の鷲津さんありがとうございました。
微力ではありますが、これからも出来ることから少しづつ。
行けるときに行けるところへ。
困ったときはお互いさまの気持ちを持って東北へ通いつづけますので
みなさまよろしくお願いいたします。