徳川の本丸 * 皇居で散歩
ただよってくる香りでその時期を感じていましたが 慌ただしい日々に今年は見られないかも・・・と感じていた金木犀の花に 意外な場所で出会うことができました。
それは鯱鉾(シャチホコ)や
こーんな石垣のある場所。 そこは皇居でした。 ====
そもそものはじまりはここ竹橋。 目的地の国立近代美術館は橋を渡った先にありました。 あれぇ、お濠の先って・・・お濠の中ってこと?
昨年から開催を待ち焦がれていた上村松園の回顧展には 前期、後期とも2回も行きましたが 思い入れが強すぎちゃってうまく記事がまとめられず。。。。 うむむむむ、東京での会期はもう終了しちゃいました。 その国立近代美術館の館内のレストランの窓側の席からは 皇居のお濠の先の風景が垣間見え、 何だか一般人とおぼしき人影もちらほらあるのです。 そういえば出光美術館の休憩所から見降ろした皇居の中にも 人が歩いていたなぁ。。。。 気になる気になる。 そんなふうに好奇心に引き寄せられて 近代美術館の先の人が歩いてくる方へ向かいました。
現在咲いている花の看板に「無料公開中」とあったので思い切って門をくぐります。 ここは皇居東御苑の入口の北詰橋門。 入口で札を受け取り、出るときそれを返せばいいんですって。 一般参賀の時以外にも入れたとは知りませんでした。
目の前にそびえるのは天守跡。 ここには3代将軍の家光が外観5層、内部6階建て高さが58m の天守台を1638年に完成しましたが1657年の大火で焼け落ちたのち 再建されていないんですって。 そういえば、江戸城の天守閣ってイメージがない・・・。
緑の芝生が広がっているのが本丸の跡。 手前から大奥、中奥、表があった場所らしい。 右手奥に「松の廊下跡」などもあるようなのですが 徳川の歴史に疎いもので 「勉強してから来ようっと・・・・」と、今回はパス。
そうそう、「皇室の名宝展」にも出品されていた 皇室所蔵の美術品が公開されているという 三の丸尚三館に行ってみたかったんだった。 こっちの方角みたい。
森フェチにはたまらない巨木がうっそうと茂ります。
石組の間からは草
本丸と二の丸を結ぶここは汐見坂。 その昔、日比谷のあたりが海岸線で このあたりから海を臨むことができたそう。
ススキの穂もそよいでいます。 ニュースで天皇陛下が歩いていたりする映像って このあたりで撮られているのかしら、なんて想像するけど どうなんでしょ。
こちらは二の丸雑木林という 昭和天皇のご発意で、昭和57年から60年にかけて整備された森だそうです。
赤い実がたくさん。 眺めていると、なんだか小鳥の気持ちになって 狙いたくなってくるね。 でも、見るだけ、見るだけ、立ち入り禁止。
そうでした。 昭和天皇は、 「雑草という名の草はありません」というお言葉のある 植物を慈しまれた陛下でしたね。
いきなり街灯が現れてナルニアの森みたい。
ライオンの頭と足がついていたよ。
その先は百人番所。 立て看板の説明によると、 本丸と二の丸の間の大手三之門の前につくられた番所で 鉄砲百人組と呼ばれた甲賀組、伊賀組、根来組、二十五騎組の4組が 昼夜4組で百人づつ詰めていたそうです。 甲賀と伊賀はわかるけど、あとの二つの組がわからない。 うーん、勉強不足ね。
記念撮影をしているのは中国人のカップル。 皇居に入れることは外国人観光客のほうが詳しいのかしら? すれ違うのは日本人と外国人が半々くらい。
この立派な建物の生垣のむこうへは立ち入り禁止。 厳重な警備がされていました。 中はなんだろ。 東御苑の地図によると、おそらく皇宮警備本部のようです。
こちらは同心詰所。 江戸時代の警備本部ね。 城の奥へ進むほど位の高い役人が詰めており、 こちらでは登城する大名の供の監視をしていたそうです。
なるほどぉ・・・これからは時代劇や時代小説にも ちょっと興味を持ってみようかなぁ、などと思いつつ
三の丸尚三館では 「皇室の文庫(ふみくら) 書陵部の名品」展を鑑賞しました。
カリンの実もまぁるく膨らんでる。 あれ、バラ科の植物なのね、と幹に巻かれている札で気付きました。 そろそろお腹もすいてきちゃった。
入ってきた門に戻るのはちょっと遠いなぁ。。。 「別の門から出てもいいですか?」と警備の方に尋ねたら よかった、OKだって。 すぐ近くの大手門から出ようっと。 シャチホコの下をくぐります。
門の先のお濠には大手町のビルがうつっています。
一気に現代の街並に戻るのはちょっと違和感があるけれど 白鳥ののんびりした姿にほっとする。
今回歩いたのは、公開されているうちの半分ほど。 二の丸の庭園も観てみたいし 次に来る時は、下調べをちゃんとして、時間の余裕をもつことにしましょう。
大手門を振り返り では、また~ みなさんは皇居の中に入ったことありますか?