2018年3月 宮城県気仙沼市「ともしびプロジェクト」「3月11日からのヒカリ」
今年も3月11日を東北の地で迎えました。
謹んで、震災で亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。
それまでの不勉強が悔やまれてなりません。2011年の震災を機に関東はエネルギーをはじめさまざまな面、なかでも「食」が東北の第一次産業に支えられていたことを改めて知ることとなりました。
窓の外は湾に注ぐ河口。雨の度に水位や潮の干満が気になる。そんな職場に勤めていたこともありとても他人事と感じられない。災害ボランティアとして通ううち、港町としてのつながりの濃さも肌で感じるようになりました。
漁師さんたちと復興商店街などで言葉を交わすようになると、東京に行くことはなくとも、横浜にはたびたび寄港する。親戚や家族の誰かが住んでいることも多く、職人さんたちも若い時の修業の場は横浜や川崎である場合が多いようでした。
そういえば職場にも東北出身者は多かった。うちは神奈川土着の家だから縁もゆかりもないと感じていたのは無知や無関心のせい。困ったときはお互い様の気持ちが強まり、一昨年の夏に家庭の事情で控えるまでは毎月のように通っていました。
例年3月11日は東北の地で迎えていたけれど今年はどうしよう。
しばらく足が遠のいて、行くきっかけを逃していたけれど。
昨年と2012年のように鎌倉の復興祈願祭で祈ろうか。
やっぱり行こうと決めたのは2月の終わり。誰かに声をかけるにはギリギリすぎてひとりで行くしかないな、と新幹線の片道とホテルだけネット予約。
新幹線から高速バスに乗り換えたあたりまではなんとなく仕事のしっぽがついていて、メールをしたり帰宅後の段取りを考えたり。
車窓の風景が町から田園へと移るにつれ、夕方着だった当初の予定より早いバスには乗れたけれど。ペーパードライバーがひとりでこの日に行くなんて「何しに来たの?」だよね。わたしは何をしに行くんだろう?馬鹿すぎるなー。。。。
という気持ちがつのりながらも寝落ち。
よかった。間に合った。14時に気仙沼到着。
バスを降りると予想以上に高い気温に戸惑いながら、あれ、復興商店街がない。
港の周りの風景の変化にも戸惑い。
K-portを見つけてほっ。あと45分あるからどうするか中で考えよう。
世界のどこに居ても毎日届く謙さんからの手書きのFax。
静かに流れる時間。
座ると「気仙沼にただいま」の気持ちをFacebookに書き込む余裕もできました。
そして、次の目的地も自然と浮かび
2016年9月にご紹介いただいた「ともしびプロジェクト」のキャンドル工房へお邪魔しました。
「あ、典子さん」
すこしだけ驚いて、すぐに受け容れてくれる。
そんなやさしさに、この旅の間ずっとふれました。
こちらの工房では、毎月11日に追悼のキャンドルを灯しています。
3月11日の昨日は、命灯会という宗派を超えた祈りが捧げられていました。
命灯会(みょうとうえ)
東日本大震災を機に、
誰でも参加することができる超宗派の法要。
一本を、今を生きることができなかった「いのち」のために。
一本を、今を生かされている「いのち」のために。
二つの燈明に明かりを灯し、
あらゆる枠を超えて
全ての「いのち」に向きあっていくための祈りの場。
わたしも2本の燈明に明かりを灯し
2時46分のサイレンとともに工房のみなさんと黙祷。
黙祷に間に合いやっと気持ちが落ち着いて。しばらく来ない間に変わった風景を確かめながら、ホテルにチェックインに向かって歩きます。湾の先に目を向けると気仙沼大島と半島を結ぶ気仙大橋もつながっていました。
そして、予定より早く着いたのをFacebook投稿で見つけた気仙沼に住む友達からのメッセージ。ありがとう!!!
ダメ元で翌日ご挨拶に行けたら行きたいと伝えてあったけれど、正直無理かと思っていた唐桑へ連れて行ってもらえることになりました。
最後に行ったのは2016年8月。
喫茶店『マンボ』の苺ババロアがはじまったことや、気仙大橋はつながったけれど、また途中の道が完成していなので渡れないんだよ、なんて地元の最新情報を教わりながらのドライブ。
鮪立湾をぐるっとまわって
『つなかん』に到着。 満室だと聞いていたとおり、たくさんのお客様。
「あれーっ?今日だっけ??」と、今回も1ヵ月ぶりのように迎えてくれた『つなかん』の皆さま。
入れ替わり立ち代わり友人知人と再会。みんなさくっと当たり前のように受け容れてくれて。私もいつの間にかお手伝いの仲間入り。
手作りの鯛焼きもご馳走になりました。
改めてまた宿泊に来ます、と挨拶をして市内に戻り夕食へ。
月曜からの仕事に備え、週末訪れた人や車が減った港のまわりも歩きなれた道。
宿泊の気仙沼プラザホテルから徒歩徒歩圏内のふかひれが食べられるお店ということで紹介いただいた「あさひ鮨」へ
お昼までは忙しかっただろう店内も夜はゆったりとした空気。
ぴかぴかの新店舗は昨年の4月のオープンだそう。
そういえば、復興商店街の時代にも、仙台駅のお店にも行ったことがある。
以前は横浜そごうの催事にも来ていたよ、なんていうお話も聞けました。
何度か花火で来ているので夜のこのあたりは慣れています。
昼にお邪魔したキャンドル工房は徒歩1分。
こんなにおだやかな3月11日の夜はめずらしかったそうです。
空には三本の光。
3月11日の18時半から深夜0時。
気仙沼湾の3つの岬から鎮魂・希望・感謝の思いをのせ立ち上がるヒカリです。
3月11日からのヒカリ Light from 3.11/Kesennuma — 東日本大震災地域から、光の慰霊碑をたちあげるプロジェクト
想像していたよりずっと大きなスケール。 市の中心部ならば見えるかな?と気仙沼プラザホテルを予約したのですが、気仙沼のどこからでも、少し離れた唐桑からも見えるそうです。
「このイベントはどこかの会場への集客を目的とはしておりません。気仙沼湾を望む場所であれば誰でもご覧頂けると思います。静かに空を見上げて頂けましたら幸いです。」(開催概要より)
ゆったりと夜の散歩。
休憩中の実行委員の友人ともばったり会って言葉を交わし、撮ったばかりの写真をわたしもテキスト中継に投稿。
誘われも頼まれもしないのにまったくの自己満足で行くのだから。
自分がやりたいからやっているだけだと肝に銘じながらの祈りの旅。
あたたかく受け容れてくれた気仙沼の皆さま、ありがとうございました。
出発前に、おとぎ話や民話の、どこか別の場所へ行く魔法の話をしていたせいでしょうか。あまりにも鮮やかに距離と時間をまたいだような感覚に陥り、自宅がある駅に降り立ったとき魔法がとけたように、すこしぼぉっとなりました。
そして、もはや「行く」場所なのだか「帰る」場所なのだかわからない 、改めて第2の故郷を感じる旅となりました。
快く旅に送り出してくれた皆さま、ありがとうございます。
そして今回お会いできなかった皆さま、今後ともよろしくお願いいたします。
またひょっこり現れます。