映画『ジプシーのとき』『アンダーグラウンド』
セルビア共和国は『七つの国境、六つの共和国、五つの民族、四つの言語、三つの宗教、二つの文字、一つの国家』と言われた旧ユーゴスラヴィアを構成していた共和国のひとつです。
第二次世界大戦でのドイツ・イタリアからの独立を指導したヨシップ・ブロズ・チトーの死後旧ユーゴスラヴィアは解体の道をたどり、繰り広げられた情報戦争もあいまって人々の心にヨーロッパの火薬庫としての印象を強く焼き付けることとなりました。
もともとは、受験勉強をちゃんとせずに大人になり世界史に弱いということもありますが(一方、文学史や美術には興味があったので、かなりフィクションが混ざった知識がベースで、なんだかなー。。。。)
1991年スロヴェニアの独立宣言ではじまった激動の10年間は、わたし個人の激動の時期とも重なり正直のところあまり知識がありません。
ユーゴスラヴィアの現代史を学ぶことは、「そうだ、1995年は闘病の末に母が亡くなった年だった。」と、あえて思い出すこともないと欠けたままにしていたつらい記憶をつなぎ合わせ痛みを伴うこともある。ただ、つづけていくうちに「あれっ、意外と大丈夫?」ということになり心のリハビリ効果もありました。「時のくすり」の効果は大きい。
先日は、旧ユーゴスラヴィアを舞台にその時代を描いたエミール・クストリツァ監督作品『ジプシーのとき』と『アンダーグラウンド』の2本立てへ。
主題歌以外の予備知識は、ほぼゼロで観た『ジプシーのとき』は、解体前の旧ユーゴスラヴィア 1989年公開作品。
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セルビア料理と民族舞踊でイースターを祝う会
4日6日は「セルビア料理と民族舞踊でイースターを祝う会」で料理を担当しました。
この会は昨年12月の「セルビアの音楽と料理を楽しむ会」に続くカフェジョルジュでのセルビアイベント第2弾。
今回のテーマは民族舞踊とイースター。民族舞踊の普及に多大な貢献をされている丸山希代子さんに、旧ユーゴスラヴィア時代からのセルビアとの交流や当時の思い出、2014年にブランコ・ツヴェトコヴィッチ舞踊団の来日時にドキュメンタリー映画を製作された後調正則さんからは制作秘話などのお話しいただきました。
また、写真は一部を除き、今回お手伝いいただいたきもの写真家、岸千鶴さん撮影のものを使用しています(素敵な写真ぞろいで絞り切れず、いつもより画像が多めです)。
料理は『イェレナと学ぶセルビア料理』より、「スラヴァのごちそう」の章に掲載されたメニューを中心に、イースターにちなんだ卵料理もプラスしました。
イェレナの料理を忠実に再現するよう細心の注意を払うため、美食の国のセルビアでは当たり前に手に入るが日本では高価な食材を使用し、ふだんは最初からメニューに載せることを諦めている料理をつくるきっかけになりました。そのうえ、手順が慣れに流されてないかひりひりと神経を研ぎ澄ましたが、初心に返る有難い機会でした。
オープン前に小田急線遅延の知らせをうけ、お客様の到着を案じる場面もありましたが、運よく開始時間のタイミングにほとんどのみなさまが到着。
ぱっと集まり、宴のあとは輪になって踊り春を祝い、さっと散って静寂が戻ったひとときの夢のような宵。
帰宅後もしばし余韻にひたりました。
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Serbian Night @渋谷コラボカフェ Vol.7
おかげさまで3月のSerbian Night@渋谷も無事終了。
いろいろな場所で出張を重ね、渋谷に戻ってお客様に会うとほっとして「あぁ今月も頑張ったなぁ」と、リズムを感じるようになりました。いつもありがとうございます。
有難いことに満員御礼の今月も、リピーターとはじめてのお客様がほぼ半々。
4人掛け、2人掛けなどにすれば席数を増やせるのですが、テーブルを囲んだそれぞれが大皿から分かち合うスタイルは、さしずめ「同じ釜の飯を食べる」ようなもの。初対面のお客様たちが、もとからの仲間同士のように肩を寄せ合い帰っていかれる空気は、生まれなくなってしまいそう。
満員御礼が続くようになったら、席数ではなく回数を増やす方向で考えています。
パンや肉のポーションサイズも、日本人にあわせて試行錯誤しましたが、現地のサイズで、というお声も高く、今年からバルカンサイズに戻してご好評をいただいています。
ですよね、そのほうが味がいい。つくった後から日本人サイズに切ればいいんだし。どうして先に気付かなかったんだろう(笑)
新しくSerbian Nightのパンフレットもつくりました。
お客様の声と自分のやりたいこと、できることを重ねながら、これからも進んでまいります。
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