映画『ジプシーのとき』『アンダーグラウンド』
セルビア共和国は『七つの国境、六つの共和国、五つの民族、四つの言語、三つの宗教、二つの文字、一つの国家』と言われた旧ユーゴスラヴィアを構成していた共和国のひとつです。
第二次世界大戦でのドイツ・イタリアからの独立を指導したヨシップ・ブロズ・チトーの死後旧ユーゴスラヴィアは解体の道をたどり、繰り広げられた情報戦争もあいまって人々の心にヨーロッパの火薬庫としての印象を強く焼き付けることとなりました。
もともとは、受験勉強をちゃんとせずに大人になり世界史に弱いということもありますが(一方、文学史や美術には興味があったので、かなりフィクションが混ざった知識がベースで、なんだかなー。。。。)
1991年スロヴェニアの独立宣言ではじまった激動の10年間は、わたし個人の激動の時期とも重なり正直のところあまり知識がありません。
ユーゴスラヴィアの現代史を学ぶことは、「そうだ、1995年は闘病の末に母が亡くなった年だった。」と、あえて思い出すこともないと欠けたままにしていたつらい記憶をつなぎ合わせ痛みを伴うこともある。ただ、つづけていくうちに「あれっ、意外と大丈夫?」ということになり心のリハビリ効果もありました。「時のくすり」の効果は大きい。
先日は、旧ユーゴスラヴィアを舞台にその時代を描いたエミール・クストリツァ監督作品『ジプシーのとき』と『アンダーグラウンド』の2本立てへ。
主題歌以外の予備知識は、ほぼゼロで観た『ジプシーのとき』は、解体前の旧ユーゴスラヴィア 1989年公開作品。
ヨーロッパの街角で見かけるジプシーたち。純朴だった主人公のぺルハンが、妹の病気を治すため生まれ故郷の小さな村を出てミラノへ移り住み、成長していく物語。
都会の生活で見違えるほど美しい青年になるのですが、その洗練は盗みや物乞いが糧。
親代わりとも慕っていたボスの幾重もの裏切り、故郷に残してきた恋人に対する不信。
胸が痛くなるような哀しみに溢れたストーリーでありながら、下手に同情するとしっぺ返しをくらいそうな、したたかさも併せ持つ登場人物たち。
セルビアンナイトでいつも流すバルカンブラスはロマが奏でる音楽です。
昨年対談を聞いたマケドニア音楽の名家に生まれたメンスールさんの対談で、そのときは実感が伴わず聞いていた「ジプシー」という呼称への思いや、差別のことなど、あらためて厚みを持って思い出されました。
昨年「完全版」を観た『アンダーグランド』は、1995年のカンヌ映画祭パルムドール受賞作品。
第二次世界大戦のドイツに対するレジスタンス運動から、チトー死後のユーゴスラヴィア解体に至る50年間が描かれています。
聞きなれた音楽とセルビア語のリズム、シニカルなユーモアと自虐、したたかさと不器用さ、ユーゴスラヴィアに対する郷愁や、血を流しあってしまった過去を乗り越えようとする葛藤は、2度目の今は映画作品として単純に楽しむというよりは、友人たちの物語として自分のなかに入ってきて、頭と心がかきまわされました。
クストリツァの世界観から、いきなり東京の月曜日の昼間に出ていくのはギャップがありすぎて「アンダーグラウンド」のラストに救われました。
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