2013年3月 宮城県石巻市・女川町・南三陸町・気仙沼市・岩手県陸前高田市

先週末、3月9日から11日にかけて大型のレンタカーで仲間たちと石巻、女川、気仙沼陸前高田を廻ってきました。上の写真はGET UP JAPANのダルマが迎えてくれた気仙沼の復興屋台村にて。 

 

リーダーの告知によるおおまかなスケジュールは

8:00
目黒駅出発

13:00
三陸道松島海岸IC出口。松島を横目に県道27号線で東松島市東名(とうな)の大田区サテライトと野蒜地区視察。
または石巻市内JEN事務所に押しかけて宍倉事業部長にご挨拶(いらっしゃれば)。

15:00
国道45号線~国道398号線で女川到着。市内視察。

17:00
国道398号線で南三陸町到着。市内視察。

19:00
国道45号線気仙沼到着。復興屋台村で夕食

21:00
鈴木旅館到着

<3月10日(日)>
陸前高田でなにかしらの作業
陸前高田

<3月11日(月)>
陸前高田でなにかしらの作業
夜都内帰着

 乗り合いで都内を朝に出発し、まず石巻へ。

  

石巻では、いつも金華卵プリンを取り寄せている「アトリエ市」にて念願のお買い物。

 serbian-night.hatenablog.com

 

石ノ森章太郎漫画館の流線型は、いつも石巻に帰ってきたぞー、という気持ちにさせてくれる。
以前はそれが横倒しになったクジラの缶詰でしたが、それは被災の象徴だったから、希望の象徴であるこちらのほうがよいね。

 

 昼食はまちなかマルシェにて。夜にみんなで旅館のTVを見ていたら、このお店からも中継があったっけ。私が食べた海鮮めかぶ丼。
 

女川港 

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女川を経由し、慰霊碑に手を合わせて市街地を見おろすと、横転したビルがまだそのまま。
緑色の部分が屋上です。

 

写真中央の四角い建物は底辺の基礎の部分をこちらに向けています。
昨年4月に訪れたときより周囲の瓦礫は撤去が進んでいました。

 

serbian-night.hatenablog.com

 

 

 南三陸町

時間は2年間流れたけれど。

 

 南三陸町防災対策庁舎です。

一昨年の6月に初めてボランティアツアーに参加したときに来た場所ですが、あまりにも変わった周囲の風景に茫然。
かつてこのまわりに街があったとはわからなくなってしまっています。

 

 

serbian-night.hatenablog.com

 

気仙沼

 昨年の8月にもこの屋台村で朝食を食べました。

 

serbian-night.hatenablog.com

 

気仙沼といったらフカヒレの聖地だからね。これ食べなくちゃ。
姿煮入りのラーメンです。

 

メインの滞在は陸前高田

 

2泊した陸前高田の鈴木旅館は激シブ!長期滞在して湯治もできるのね。

 

調理場つき。こんどはここで自炊もよいですね。
でもお風呂は50℃くらいありそうに熱いのですが。

 

前夜はサプライズで誕生日祝いをしてもらい感激。

3月10日には、昨年仲間たちが津波の到達点を後世に伝えるための植樹をした桜の成長を確かめ、手入れ、そして同じお宅で秋に植えたチューリップの花壇の手入れを行いました。
敷地の一角には慰霊碑が設けられ、慰霊祭終了後にこちらでご遺体が見つかった方のご遺族が手をあわせにいらっしゃるとのこと。 

 

 

大坂さん宅でチューリップ花壇の手入れ。土をかぶせてきれいに周りを囲みました。
時折雨や雪が舞い落ちます。

 

慰霊碑とお地蔵様の前にはお花が用意されていました。

 

昼食はお茶っこハウスで心づくしのおもてなしをしてくださいました。遠慮なくいただきます。午後からはご遺族の方がいらっしゃるとのことで、私たちの作業は終了。

 

桜はこちらの斜面に植樹されています。

 

午後は慰霊祭での献花、そして気仙沼地域で犠牲となった1906名と同じ数の凧をあげるという「天旗祈願祭」に参加しました。
 

国連から派遣されて2年間東北をまわっていたセラピードッグのサモエド犬のロレンスとエルシドも来ていました。もふもふで、やさしくて、すいよせられてしまったよ。
この日を最後に故郷へ帰るということでした。
ありがとう。おつかれさま。

 

 天旗祈願祭で、思い思いに凧を描きます。有名な漫画家さんたちの描いた凧もありました。

  

 

復元された一本松へと向かいましたが、あまりの強風に根元へいくことは断念。昨年8月にボランティアで語り部をされている「一本松おじさん」と出会った場所に車を停めて撮影をしました。

 

 陸前高田に広がる更地は、かつて市の中心であった場所だそうです。その頃を知らない身には想像することが難しい。

 

気仙沼天旗祈願祭」の会場に戻り、14:46の黙祷ののち舞い上る連凧。でも、強風のあまり地を這うようにうねる。私の凧もさらわれて、からめとられてしまった。
手前から2番のチューリップ柄がそれ。
 

イベントが中止のため、会場後片付けをゲリラ的にボランティアし移動。

 

 

翌3月11日14時46分はふたたび大坂さん宅で海に向かって黙祷。

長距離を運転してださったドライバーの皆様ありがとうございました。
快適な車を手配や、シブくて居心地のいい宿、サプライズのバースデイケーキの手配もありがとう。

 

今回の旅でまわった町は、どこもただただひたすら更地が広がり、冬の終わりだから雪もないということもあるのかな、ぽっかりあいたその広がりが哀しく感ぜられました。


震災を風化させないためには、という言葉がよく聞かれた3月初旬ですが、あまりにもつらい体験は、忘れなければ前に進めないこともある。
被災のモニュメントとしてとりあげられていた建造物や車、船などが次々と片付けられていくのは、現地で生活する方たちには必要なことだと思います。


ただ、離れて生活している私たちが、自分たちも当事者として震災のこと、東北で暮らす人々のことを忘れないでいるためにどうしたらいいんだろう。

 

とはいえ、悩んでも結局いつものように、あまり難しく考えないようにしよう・・・ということになるのだけど。

地元と東北をあまりわけて考えず、出会いを大切にしていけばいいんじゃないかな。

向こうに待ってくれている人がいるから会いに行く。

旅先で美味しいものに出会ったら、まわりの人にお土産を買って帰る。

それを続けていけばよいのではないかと。

 

 素晴らしい仲間に出会えたことにひたすら感謝する旅ともなりました。

また来ます。今後ともよろしくお願いいたします。