2012年4月 宮城県牡鹿半島・女川町
週末に3度目の牡鹿半島ボランティアへ行ってきました。
4月よりボランティアの受け入れが縮小されたため、行ってみなければわからないという部分もありましたが、今回も瓦礫撤去の活動をすることができました。
20日の夜、男性4名、女性3名で編成された「チーム土井」7名が、3台の車に分乗し出発。
佐野サービスエリアの自販機エリアで合流し、アナログツイッターを閲覧。
矢本サービスエリアで仮眠後牡鹿半島へ向かいました。
21日、22日とも作業は東松山市からのボランティアバス他とともに4チーム合同で給分浜の元住宅地での瓦礫撤去。
大きな庭石が、かつて豪邸が並んでいたことを偲ばせていました。
2日目の作業場では、瓦礫撤去の最中にその同じ場所にトラックがやってきて、砂利を敷き始めて・・・・!!
その砂利は、撤去した瓦礫を分別したうちの「ガラ」と呼ばれる建築資材を砕いたものだそう。
せっかく撤去した瓦礫も、すぐ戻ってきてしまうのね、とモチベーションが下がりかけましたが、目をやると金属片やガラス、木片がまだまだ混じった様子に、ボランティア魂がむくむくと湧き上がる。
それは同じ場所で作業をしている別の人も同様だったようで、運び込まれたばかりの砂利に分別をすべく我先に手を伸ばしていました(笑)
作業中、栃木の社協から視察が来ていましたが、5~7月にかけて牡鹿で活動を行うそう。
別の何かを問いかけたそうに立ち止まっていた女性は、同じ給分浜の別の区画に住まわれていたそう。その先は会話をしようにも、うまく言葉が続けられない。仕事をしている現地の人とは交流ができても、被災者としての現地の人とはうまく言葉を交わせない自分自身を知りました。
帰路に立ち寄った女川町は、1年を経た現在でも津波の爪痕がまざまざと残る光景に茫然。
他の被災地では滅多に目にすることがなくなった、波打ち際に残る家電やぬいぐるみ等の生活用品の数々に、いまだ確保されない安全がうかがわれました。
今回は21時に青葉台駅集合。女子トークをしながらの深夜運転。
車窓からではうまく写真におさめることができませんでしたが、石巻の市内の民家では津波の被害を受けた部分を修理して戻る準備をしている様子がところどころで見受けられました。
3月に行った時と同様、製紙工場が操業している姿にほっとしました。
少しづく低くなってはいるものの、まだまだ高い瓦礫の山。
廃車の山も同様です。
マッチングを済ませ、ボランティアセンターとなっている牡鹿公民館でこの日一緒に作業するボランティアバスの到着を待ちます。
給分浜での瓦礫撤去開始。
民家の敷地、ひとつひとつを完成させて次にうつります。
ガラス片は特に念入りに細かなものまで拾い、きちんと分別して撤去します。
左は翌日に作業をする敷地。
大きな瓦礫があると、拾いたくなってうずうずするけれど、そうやって広がっていくと細かな瓦礫を拾う人がいなくなって残ってしまうので、フライングしないよう厳重に注意。
1年の歳月により天然素材である木片や瓦は自然に還りはじめていますが、プラスチックやFRPなどの合成素材は残ってしまう。
牡鹿半島は地盤が1m沈下し、5m東へ動いているそう。
作業場の目と鼻の先の堤防より先に出ないよう指示をうけます。
昼食はのれん街にてくじらカレー。
作業場の横に積まれた帆立貝は、牡蠣のタネつけのため、中央を針金で通されて繋げられています
曇り空が晴れてきて、汗ばむ午後の作業。
船も漁から帰って来たようです。
宿泊所の公民館に入浴施設はないため、作業後は牡鹿交流センター「ほっとまる」のお風呂でさっぱり。
対岸は金華山。
震災の当日の引き波ではモーゼの十戒のように海底が見えたということです。
この日見た黄金色に輝く海は、反対側の石巻港。
海に映る夕日の模様が刻々と変わり美しかった。
けれども、生活と直結していない場である御番所後援は整備が進んでおらず、倒れた木の根がそのままになっていました。
牡鹿のれん街の黄金鮨で夕食
急ぎ山を降り、恒例となった「おしかのれん街」の黄金寿司での夕食。
刺身盛り合わせの中央には、4/16に2年ぶりで再開された調査捕鯨で水揚げされたミンク鯨が!
やっぱり新鮮なものは違うっ!!
鯨の刺身、お寿司を堪能。
偶然来店したボランティアセンタースタッフ3名と合流し、話は尽きない夜となりました。
朝食は今年オープンした仮設店舗のヤマザキデイリマートで調達。
ボランティアセンターへ戻る途中、町内放送が流れ、23日より猟友会による有害鳥獣駆除が行われるため山に入らないように、とのこと。
洗浄する鯨のヒゲにまぎれた鹿の頭の骨
何件かのお宅には鯉のぼりが泳いでいました。
街の生活が戻ってきたことを、そこここで感じる滞在となりました。
2日めの作業も給分浜にて。
前日作業した区画の隣です。
その隣ではフォークリフトに黒い袋が吊し上げられ、なんだろう・・・と考えていたら、養殖に使う重りとのこと。
2日めの昼食は「おしかのれん街」の、みさき屋さんにて、復興ちらし。
食べる漁業支援に励みます。
午後は大原浜で作業
午後はこんな大物を発見し。
穴はきっちりと埋め、表面をならして整地し、やり遂げた感がいっぱい。
給分浜での2日間の作業が終了となりました。
帰路立ち寄った女川町では、横倒しになったままのビルがそのままの状態で遺されていました。
横断歩道も水没したまま。
こちらは陸上の1棟。
陸上で倒れているビルと海までの間は更地になっています。
地盤沈下により波に洗われて錆びついたマンホール。
右側にあるかつての岸壁を超えて広がる海面。
海岸線には野ざらしのままのぬいぐるみや家電がそのまま散乱しています。
瓦礫撤去の作業をする安全が、まだまだ確保できないということなのでしょう。
新しい海岸線には浸水を防ぐために土嚢が積まれ、(通常のものより大きな1トンサイズのもの)その向こうには倒壊したビルがさらにもう1棟。
崩れたビル。
海抜16mの女川町立病院の駐車場より海を臨む。
こちらの病院の1階まで水に浸かったそう。
内陸側に目を移すと更地となった地面が広がっています。
町立病院駐車場の仮設は医療施設。
歯科診療所や
薬局。
左手が町立病院の施設、右手が仮設の医療施設。
さらにミニFM局もありました。
石巻の生活を取り戻しつつある面、停滞した面に触れた今回の旅ですが、考え出すとキリがない。
今までと同じように、求められているうちは「困った時はお互い様だから」の精神でボランティアを続けて行こうと決めました(って、いつも同じ結論ね・笑)
そして、求めがなくなったら観光しに。
同行の皆さま、ありがとうございました。
今後ともよろしくお願いいたします。