2014年3月 岩手県釜石市・大槌町・吉里吉里・陸前高田市

3月9日深夜に東京を出発し、
3月10日から11日にかけてボランティア仲間4名で
釜石~大槌~吉里吉里陸前高田をまわってきました。

今回の旅は、それぞれが今までに作業で訪れた場所や行きたい場所をめぐり、
作業や活動を通じて知り合った方、
お世話になった方に直接会ってお話を聞くことができました。

 東北道で一ノ関まで 

  

 4ヶ月ぶり(かな?)の岩手です。花巻でインターを降りたらつるっつるのジャリジャリ。

 

 最初の目的地は釜石。

「東北の食材で世界の家庭料理を食べる会(典子食堂)」の2回目、2013年1月に釜石のヤマキイチ商店さんから取り寄せた「泳ぐホタテ」。
通販サイトを何社か見比べて、とにかくここのが一番美味しそうに見えて選んだのですが、食べてみたらとにかく美味しくて、いまでも忘れられない。

 

 

 

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あんまり美味しかったので、ヤマキイチさんの他の商品も食べてみたくなり2013年5月の3回目の典子食堂ではイクラを取り寄せて「はらこめし」をつくりました。

 

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 そして、今回「釜石へ行くので見学させてください」と図々しくお願いしたところ、快く受け入れてくださり、朝ご飯までご馳走になってしまった。。。

海水の中で出荷を待つホタテたち

 

こーんなに大きい!
私は今年のお正月にも貝柱とイクラを取り寄せましたが、ワカメも美味しい♡
ご興味のある方はぜひお取り寄せしてみてください。

www.yamakiichi.com

 

釜石を後にして向かったのは大槌町
2011年8月11日の花火大会、LIGHT UP NIPPONの会場だったスーパーマーケットMASTがいまどうなってるか見たいという私のリクエストを聞いてもらいました。

 

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マストに到着。2011年のイベント当日は、Tシャツが支給され、「女性は建物の中で着替えてください」と言われた「建物の中」が鉄骨剥き出しで言葉を失いましたが同年12月より営業再開。

 

ドライバーはたばこ休憩。わたしたちは店内をぶらぶらウィンドーショッピング。そんなフツーが嬉しい。

 

城山城址から町が一望できるということで、向かいました。

 

 町だった場所は一面のさら地。ところどころに古墳のように、かさ上げの山が見え、写真中央の一角だけ建物が残っていました。山を降りて次の目的地へ

 

 

 

吉里吉里海岸は仲間たちが海岸清掃を行った場所。

 

私は来られなかったけれど、仲間たちがフルイで砂浜の小さな瓦礫まで取り除く作業をした場所。すっかりきれいになったと聞いていたけれど、ふたたび海から瓦礫が打ち上げられていました。

  

 砂浜を歩いていたら「どこから来たの~?」と頭上から呼びかけられ、おじさんとしばし立ち話。
3月11日には山田町で被災し、吉里吉里の自宅も写真一枚残らないほどの被害を受けたそう。
何もなくなってしまったし、年内にここを出ようと思うんだよ。息子がいる久慈に住もうと思うだよ、おじさんももう80近いし。
なんて話を聞かせてくれました。

 

 「のりこさーん、何してるのー?もう行くよ」と呼ばれ

いまは使われていない山田線の吉里吉里駅 

海岸を後にし、仲間のつてで、当時ボランティアセンターであったコンビニにご挨拶に伺うことができました。

 

 現在休止中のJR山田線吉里吉里駅にも立ち寄り。

 

  

 大槌に戻り、2011年9月に清掃を行った源水川へ。 

 

 現在は清流となっていました。
あのとき産卵した鮭が帰ってくるのは、たしか3年後と聞いた気が。
その頃また来たい。

 

川の対岸、清掃時に荷物を置かせてもらっていた大槌中学校は更地になっていました。

 

 

市内に戻り

 

 

 

城山から見下ろしたときに気になっていた、建物の残る一角を訪れてみると大槌町役場。献花台に手をあわせました。

 

 

 

 

 仲間が初めてボランティアとして作業に入って以来、何度もお手伝いに伺っているというお宅にも立ち寄り、近況報告後、陸前高田へ移動。

 

 

 

「桜ライン311」という津波の到達地点を桜でつなぎ、後世に伝えるという活動に参加した仲間たちが、2012年3月にの植えた桜を継続して世話をつづいけています。
私は2012年8月から、そのお世話の仲間に入れてもらっています。

www.sakura-line311.org

 

現在は土地のかさ上げ中で、移植中とのことでしたが、仲間が事務局に連絡をして、その桜に会いにいくことができました。

 

翌3月11日の朝は雪模様。

 

軽くパンでも食べて出かけようとしていたところ、「朝ごはんを食べにきなさい」と連絡をいただき、竹駒小学校校庭内の仮設へ急ぎ向かいました。

 

BRTの竹駒駅も新設されていました。運行は、ほぼ1時間に一本。

 

 

桜の植樹をしたお宅は津波の到達地点。
自費で設置された慰霊碑を訪れる人は絶えません。今年も「ひとり一本づつお持ち帰りください」とチューリップを送ってくださる支援者の方がいらっしゃいました。

 

ママのお宅から望む、陸前高田奇跡の一本松を囲むかさあげのためのコンベアと橋脚。

 


私の東北ボランティアをはじめたきっかけは、1995年の阪神大震災のときに神戸で被災した親友のもとに駆けつけられなかったことが心残りであったため。
当時は家族のことが大変な時期で横浜を離れることができなかったから。

その後親友は関東に戻り、2011年3月11日は一緒に出掛ける予定でした。
その日私は仕事が気になるからと、予定をキャンセルしてもらって出勤。
(そんなこと滅多にしないのだけど)
私は職場で揺れを感じ、その日どこかにひとりで出かけているはずの彼女と翌日まで連絡がとずとても心配で。


しばらくは、自衛官や僧侶を友に持つ彼女のだんなさまからの又聞きで東北で救援にあたる現地の様子をメールで伝え聞いていました。

 

3月の終わりに出かけられるようになると、彼女の神戸での被災経験や、「ニュースにとりあげてられない場所も被災地なんだよ」という言葉に背中を押され2011年6月に南三陸へ向かいました。

 

その親友が昨年の11月の終わりに発病し、この2月の終わりに亡くなりました。
いままでは「私は行けないから、行って見てきて、どんなだったか教えてね」と言ってくれる彼女のために書いていたので、このレポートを書くのはまだちょっとつらいのですが、ほかの人にも東北の今を知ってもらいたいのでアップします。

 

いまあらためて、日々のすべてに感謝。
「ありがとう」と「ごめんなさい」は、すぐに言わなくちゃ。
行きたいところには行って、会いたい人には会いに行かなくちゃ。
そんなあたり前のことを、より一層大切に感じています。

 
今回の旅に同行してくれたみなさま、現地でお世話になったみなさま、
ありがとうございます。
これからもよろしくお願いいたします。