2011年11月 岩手県陸前高田市小友町(田んぼの瓦礫撤去)

岩手県へ災害ボランティアの旅。
東京駅発の深夜バスに乗り、早朝花巻に到着。

初めて訪れた花巻の紅葉は もう盛りをすぎていたらしいんだけど 息をのむほどの美しさだったよ。

 

 

いつ見ても心を奪われる遠野の田園風景。 岩手って美しい場所だったんだ。

 

 

 

トイレ休憩をした「道の駅みやもり」で すぐ隣にある「めがね橋」にノックアウト♡されたよ。

この記事を書くために調べてわかったことだけど この橋は鉄道用の橋であり、JR釜石線が通り、 宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』のモチーフになっているんですって。

(電車が通るとこんなふう

 

めがね橋を過ぎ、釜石鉄道をさらに海へ向かうと 今回の目的地である陸前高田に到着。

 

 

松が7万本もあったなんて想像がつかない海岸線には 地盤沈下してしまった土地を満潮から守る土嚢が並んでいます。

 

 

ほとんどの建物が姿を消してしまった中で かろうじて形を保っている団地は4階まで水をかぶってる。

 

瓦礫は分別が進んでいるようで 石材や可燃物が分かれているように見受けられます。

 

この地に初めて来た人間には想像することが難しいけれど

海を背にして見る陸側の風景のこのあたりは 市の中心街だった場所だったのではないかしら。

 

そここに見られる大きな池は この地を覆っていた海水が残った水たまり。

 

被災の状況を本では読んでいたけれど現実に圧倒される。

この本で語られていた戸羽市長の夢のひとつ 津波の到達地点を後世に伝えるために桜の並木として残す という運動が現実のものとして動き始めています。

ささやかながら私も苗木募金をしたよ。

(興味のある方はhpをここで見てね)

 

陸前高田のボランティアセンター(ボラセン)は こんなふう。

作業で使った道具を洗って返すための場所です。

 

前日や当日の現況や、ボランティア作業にあたるうえでの 服装の注意や説明などがホワイトボードに掲示されており

 

仕事の募集もこんな風に。

 

私は旅行会社のツアーでの参加だったので 添乗員さんが仕事のマッチングをしてくれますが 個人で行く場合もボランティアセンターで 同じようにマッチングを受けるらしい。

 

今回の作業は、半島に両側から押し寄せた津波によって分断されてしまったという 小友町の田んぼでの作業になりました。

「おともまち?それってどのあたりなんだろう??」 頭の中は疑問符でいっぱい。

陸前高田ボランティアセンターから現地につくまでのバスの車中 携帯で情報収集。

うん、位置的にはこのあたりだね。

 

 

目的地の田んぼに到着。

男性は埋まってしまった側溝掘り。

女性は草刈りという分担の支持のもと作業開始。

 

到着したときは一面の草でしたが、中央の平らな部分は、草刈りの成果。

100%の力で働かないようにとの厳重注意で20分ごとに休憩。

20~30%の余力を残しておかないと 何かが起こったときに対処できないからね。

作業開始時には必ず地震津波が起こったときの避難方法や ケガによる破傷風のリスクなどの説明があります。

そして、トイレの場所も。

この場所は電気や水道も通じていないため、トイレまでは車の移動が必要なため 充分な余裕をもってください、とのこと。

 

昼食はお弁当とお茶が支給されます。

体を動かして、青い空の下で食べるお弁当はおいし~。

 

昼の休憩時間は長めの設定だったので お弁当を食べながら眺めていた 海のほうへ、崖を降りて歩いて行ってみたよ。

路のわきには大きな海水だまりと、石垣のかけら。

 

海はすぐそこ。

海面は道路とほぼ同じ高さにあるので パワーショベルで砂利を重ねているのかな。

ちょうど昼の休憩が終わった運転手さんが乗り込んで 大きなアームを動かしはじめたよ。

 

私たちが作業しているより一段下の田んぼは 瓦礫だらけ。

その隣は水びたし。

 

むき出しの地面のギリギリの位置には 守られているかのように、お地蔵様とお墓。

 

仮設トイレのある小友中学校で目を奪われたのは体育館。

 

体育館の内部はこんなふう。

瓦礫や土砂の清掃はされているけれど 吹きさらしとなっている姿に胸が痛みます。

いずれは解体するのか、改修するのかするのだろうけれど その作業がはじまるまで、このままでいるしかないのだろうけれど。。。

ここに通っていた生徒たちのために その待ち時間を少しでも短くするために何かできないだろうか。

 

小友中学校の時計は2時50分で止まってた。

帰宅後にyoutubeで見つけた校長先生のお話によると 「その時」に学校に残っていた生徒たちは 裏山に逃げて無事だったということで、よかった。

 

内部は立ち入り禁止だったけれど ガラスのない教室を外から覗くと

 

棚にぽつんと残ったトロフィーと 床に落ちた表彰状が生徒たちの頑張りを伝えていたよ。

 

テニスコートの脇にあった金属は何だろう? スタンド席?

 

午後も草刈りと側溝掘りはつづき 隣の田んぼで作業していた別の土地から来た別の団体と いつしか共同作業となり どんどん進む

 

男性の背丈ほど掘ったところで コンクリートの側溝が見えてきたよ。

 

脇で草を刈っていると地面には お皿や柱、洗面器、電気製品などの生活用品だけではなく 直径15cmほどもある帆立貝や、牡蠣 おまけにムール貝などなど。。。。

レストランで食べたら上等なもののはずなのに。

気仙沼養殖場から流れて来たのかな。

 

午後2時を過ぎた頃に初日の作業は終了。

 

撤収です。

 

上の写真は花巻温泉での夕食、
 

右の写真は翌日の盛岡での夕食。

 

内陸と海側の被害の差は歴然なの。

宿泊場所は車で2時間ほど移動した花巻温泉

夜はツアーのメンバーと添乗員とで懇親会・・・というか反省会。

リピーターの多いツアーなので、顔見知りも多く、熱い話が交わされて

いったん休止となるボランティアツアーのファイナルだったということもあり 春のツアーの再開と、メンバーの再会を約束したよ。

 

翌日も小友町の、少し離れた場所にて作業。

 

こちら側は、側溝の作業が終わったのかな。

さらさらと川が流れています。

 

そこここに見かけるボート。

小友中学校へ向かう途中で、他のチームの作業が終わり 分別された瓦礫が積まれた田んぼも見かけたよ。

 

我がチームの2日めの作業の成果もこんな具合。

表面を少しさらっただけで、まだまだ掘れば出てくる瓦礫は きっと、こんなもんじゃない。 実際に作物を植えるためには、まだまだ作業が必要なんだろうな。

でも、今回はここまで。

年末にむけて旅行会社のボランティアツアーが減りつつあるこれからは 今までのツアーで知り合った仲間たちとグループで行くことになりそう。

またもう一歩。 勇気を出して踏み出さなくちゃ。

 

おかげさまで、こんな風に元気に過ごしています。

では、また~