2011年8月 岩手県大槌町(LIGHT UP NIPPON)

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夏休みをとって出かけた先でみかけた風景。 国道沿いでひと休みするおじさんと、ひしゃげた電信柱。 それとも信号の名残りかな。 非日常が日常となってしまった東北の姿です。

 旅の目的はLIGHT UP NIPPONという花火大会での運営ボランティア。 東北大震災のちょうど5か月にあたる8月11日に 鎮魂の祈りをこめた花火を、津波の被害をうけた太平洋岸11か所で 同時に打ち上げるという企画でした。

  

そうだよね、被災地ではこのお盆が新盆だ。

花火が大きな迎え火や送り火になってくれるといいな。

小さな子どもや若いコたちに、夏休みらしい華やいだ気分を味わってもらえるよね。

そう感じて、Sakaeさんからのお誘いのメールに 「私も行く!」って二つ返事で参加を決めました。

 

ボランティアに行く前までは自分のことを過剰にか弱いと思い込んでいて 「両夜行なんてありえない」 「お風呂に入れなんなんてありえない」 って思ってたんだけどね。

よく知らない人たちに囲まれて深夜バスで移動することも 明け方のサービスエリアのトイレで 顔を洗って歯を磨くこともぜんぜんアリだった。

 

前日の23時に東京駅を出発したバスが岩手に到着したのは翌朝8時前。

午前中は世界遺産となった平泉を観光し (そのときの話はまた後日に) 昼食後に花火大会会場へと向かいます。

写真に移っているこの骨組みはコンビニかな。

平泉では震災の傷跡はほとんど感じられませんでしたが 釜石が近づくにつれて変わっていく風景。

 

同じツアーの参加者の多くはボラテンィアのリピーターで 車窓の風景が前回に来たときよりも「きれいになってる!」との声しきり。

初めての大槌の私は「ぇえ?そうなんだ!」って心の中で驚く。

地震が発生した14時46分にサイレンが鳴り バスの中では皆が黙祷。

 

バスが到着したのは大槌町のこの駐車場。

ここが花火大会のイベント会場になるそうです。

まず全員に大会Tシャツが配られ、着替えることに。

「男性はそのへんで。女性は建物の中でどうぞ」ということで スーパーマーケットか何かの商業施設だった建物に入ってみると

 

えっ・・・・・とひるんでしまったよ。 骨組みだけになってた。

でも、ささっと着替えて会場責任者のものとに集合。

作業の説明と班分けが行われます。

私たちは駐車場の誘導係。

 

イベント会場の全景はこんなかんじ。

海に向かって下る斜面にあり、山側である道路から撮った写真。

 

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帰宅後に知ったことですが、以前はこんな様子だったそう。。。。

上が3月13日、下は6月3日の写真です。

同様の比較写真がこちらのURLで見られます。

 

東京から来た人間が初めての場所を警備するので まず会場周辺を下見。

 

私の持ち場から見えた橋は橋桁が落ちていました。

通る車もまばらで、もともとが恒例の花火大会ではないから 地元の人は今日ここであるってわかってるかしら? と、少し心配になる。

 

そんな心配をよそに、大槌川流れはまるで何もなかったかのように清らか。

いままでほとんど来たことがなかったけれど 東北って美しい場所だったんだね。

すべてを海が呑み込んでさらっていった場所に 人間が動きはじめるよりも早い速度で こんどは緑に覆い尽くされようとしているような気配を感じたよ。

でもね、この川岸を菜の花で埋め尽くす計画もあるんだって。

9月3日に種まきをするらしい。

黄色に染まる春の景色も見てみたいな~。

(「大槌町菜の花プロジェクト支援委員会」のブログはこちら

 

花火の打ち上げ会場はあの水門のあたり。

私たちは駐車場の誘導係ということになり それぞれの持ち場を決めて暗くなるのを待つばかり。

それまで1時間ほど空き時間があったので 同じツアーの人たちがGW期間中に作業をした場所を見に行くと聞き 「私もいく~!連れてって!」とお願いしてくっついて行ったよ。

 

これは、ちょうど私が歩いたのと同じ道の映像です。

町長をはじめ役場職員40名も犠牲となった大槌町は 復興に向けての歩みにも停滞がみられていたそうです。

 

火事で焼け焦げた信号は8月の時点でもそのまま。

さまざまな困難の中で実現した町長選の投票率は70%以上だったそう。

指導者を得たことで方向性が定まって行政も安定するので この風景もこれからはどんどん活気を取り戻して行くのでしょう。

 

春の瓦礫から夏は何もない風景に。

 

小槌神社は鳥居の前まで津波が洗っていたよう。

 

焼け焦げた大槌小学校も、無事な向こう側には プレハブを建てて大槌町の仮庁舎として窓口業務を行っているそうです。

 

町のそここでパワーショベルが動いており 「解体可」とのスプレー書もたびたび見かけました。

 

焦げた建物のまわりには、掘立小屋の飲み屋さんと 客待ちのタクシー。

 

被災した大病院はいくつも見たけど、ここは何科だったかな。

開業医のようでした。

こちらは基礎だけになった歯医者さん。 私たちも客待ちのタクシーに乗り、目的の場所へ向かいました。

着いたのはアパート。

たしかにそこには「日常」があった気配が感じられ 胸が痛い。

空き家となった建物の前には 町長選の選挙事務所のプレハブ。

過去と未来が混在する。

でも、私たちはここの人間ではないのだから あまり長時間いても失礼にあたるよね って、今回のツアーの本来の仕事へ戻ることに。

 

帰りのタクシーでも、運転手さんに花火大会開始時間と イベント会場を宣伝しながら戻ります。

打ち上げ前のライブのためにT-BOLANそろそろスタンバイ。

 

私たちも持ち場について 沈みゆく夕日に染まる雲と山を眺めながら 次第に増えてくる交通量を感じます。

駐車場に車を誘導していると 「歌手は誰が来るの?」 「石川さゆりじゃないの?」なんておじさんも。

芸能人が来るのに慣れてるんだな~。

 

ライブ開始の頃には国道も渋滞。

花火が打ち上げが始まる頃には

「満車に近いんじゃない?」

「これ、このまま誘導しちゃって大丈夫??」

花火に背を向け、会場のスタッフと携帯で連絡をとりつつ

 

日が落ちると月光と花火以外は真っ暗。

小さな子どもが歩き回る駐車場に車が動き回るのは危険ということで 入場制限をはじめます。

車を一台一台止めてご理解をいただき、

代替駐車場の案内やお詫びをしていたので

花火やイベントの様子はほとんどわかりませんでしたが こんなだったらしい。

まだ明るいうちの花火は神秘的だね。

その光を映す大槌川の川面には凄みさえ感じる。

  

パーク外では異例のミッキーマウス花火も上がりました。

 

花火が終了し、駐車車両もだいたい外に出ると私たちもお役御免。

でも、来てくれたお客さんたちも立ち去り難いみたい。

みんな喜んでくれたかな。

そうだといいな。

すきっ腹を抱えて向かいのコンビニへ行ったら 浴衣姿ではしゃぐ地元の高校生たち。 よかった~。

私たちもコンビニの駐車場で円陣になって乾杯!

 

アーバスが会場を離れる前に、バスに乗ってきたのは なんと主催者の高田さん。

同時開催の会場はいくつもあたけど、ご本人は大槌で見ていたんですって。

(開催前のインタビューはこちら

このイベントが縁となって、来年の3月11日の地震発生時刻には 昼間でも見られる花火を打ち上げる計画があること。来年の8月にも再びこの花火大会をする計画もできたこと などを聞いて、「また手伝いにくるよ~」って盛り上がるボランティア陣。

行きのバスの知らない同志も 帰りのバスでは”仲間”になってたよ。

 

同行のみなさま、ありがとうございます!

夏休みに瓦礫の撤去は進んだけれど これからはそこから何かを生み出す段階に移るんだね。

雪が降る前にまた行こう。

では、また~