俱楽通志友(glad to see you) * 川喜田半泥子

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三つ揃いのスーツの上着だけを脱いでろくろを廻すポスターが 開催前から気になっていた展覧会でした。

名前も読めないし。。。。 かわきたはんどろこ?

知らなかった

西の半泥子、東の魯山人と並び称されているお方なのだそうです。

この志野茶碗の銘は「赤不動」。

1949(昭和24)年に焼かれたもので、東京国立近代美術館蔵。

白と赤、茶の微妙な色あいで 欠けた部分に継いである金が華やかさとともに 全体を引き締めていて何度観ても見飽きない。

展示されているアクリルケースの周りをぐるぐる何度も廻ってしまったよ。

 

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本名川喜田久太夫政令(かわきた きゅうだゆう まさのり)。

禅の師匠である大徳寺黄梅院の和尚の勧めにより 36歳から使いはじめた半泥子(はんでいし)という雅号は 「半ば泥(なず)みて半ば泥(なず)まず」という意味を持つそうです。

陶芸だけではなく、人生にも通じますね。

富豪の家に生まれ、生後間もなく祖父と父を亡くし満1歳にして第十六代当主となった彼にとっては 一般人よりも深い重みをもつ言葉であるかもしれません。

(Wikipediaの記事はこちら)

年若い母は実家に帰され、半泥子が成人するまで会うことが叶わなかったそうです。

半泥子が我儘に育つことを恐れた祖母から送られた言葉は 「己をほむるものハあくまとおもふべし。 我をそしてるものハ善知識とおもふべし」

そんな厳しい教えを人生の指針としていた人物ですが その作品は軽妙洒脱で、予備知識ゼロで出かけながら すっかりファンになって帰って来ました。

本来ならばみなさまにご紹介するために 首都圏での会期中に記事を仕上げたかったのですが 間に合わずごめんなさい。

現在は山口県三重県へと巡回中です。

 

http://www.bunka.pref.mie.lg.jp/common/content/000142453.jpg

図録の表紙は 千歳山窯 粉引茶碗 銘「寒山」 1940(昭和15)年頃 個人蔵 

川喜田商店300年記念に従業員より贈られたお金を費用に充てて 自宅に設けた窯で焼いた茶碗です。

プロに手助けを頼んだ最初の窯は失敗し、再度の挑戦で登り窯を作ることに成功したそうです。

登り窯がある家・・・というか邸宅って、どんだけ広いんでしょう。

しかも、創業300年だし。 ね。

 

http://www.sekisui-museum.or.jp/img/ex_monogatari/monogatari_om2.jpg

千歳山窯 黒織部茶碗 銘「富貴」 1940(昭和15)年頃 個人蔵

私の場合、アートに触れるのは、心を落ち着かせるため。

仕事とプライベートや、何かに没頭していた状況からニュートラルに戻るため、 リセットのため、かな。

スケールの大きさは天と地ほどの差がありますが 川喜田半泥子もそうだったみたい。

朝めざめるとすぐ自宅に設けた窯へ向かい、 ずっと轆轤(ろくろ)を廻していたけれど本業がおろそかになると 心が落ち着かないので仕事に出向き、 帰宅後は着替えるのももどかしく轆轤へ向かう。 その無心な様子が2枚目の写真によく現れています。

本当に好きだったんだろうなぁ・・・・。

しかも、その本業というのが百五銀行頭取など多くの要職で 芸術面ではまったくのアマチュア

ほとんどの作品を親しい方にゆずり渡したため個人蔵。

売却によりお金を得たことは一度もないそうです。

・・・・でも、国立近代美術館に収蔵された作品もあるなんて、すごすぎ。

 

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粉引茶碗 銘「雪の曙」 千歳山窯 高麗茶碗なのだそうだ。

昭和28年、37年にも訪朝し、現地で焼いているとか。

半泥子は海外に出かけても持って帰るのは陶片や陶土ばかりで ご家族は「皆、がっかりした」そうです。

他人だから、流石だなぁ・・・と感心できるのね。

茶碗に見える花びらのような3つの模様は、 釉薬につけるときの指の跡。

どぶん、と漬けてさっと引き上げた様子が想像できますね。

 

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赤楽大茶碗 銘「閑く恋慕」 石水博物館 広永窯 

半泥子が焼き物をはじめたのは楽焼きからだったそうです。

赤くて丸くてチューリップのように愛らしいこの茶碗は大ぶりで、 茶を飲む時に顔がすっぽり隠れてしまうため 「かくれんぼ」という名をつけたそうです。

 

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瀬戸唐津茶碗 1940(昭和15)年頃 個人蔵

今読んでいる半泥子の随筆「泥仏堂日録」には 唐津で21日間で焼き物三昧で滞在した日々の記録がありました。

その間に町の人々との親しくなり、最後は目頭を熱くして休暇を終えた様は 財界の重鎮だからといって雲の上に安住せず 「半ば泥みて半ば泥まず」を実践していたのだろうな、と感じられます。

 

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粉引茶碗 銘「たつた川」 石水博物館 広永窯

焼き物にはあまりあまり馴染みがなく、なんとなく入った企画展だけに 粉引茶碗ってなんだろ・・・って自分で書いていてもよくわからない。。。

そういえば「美濃」とか「志野」とか「益子」とかって 母が何だか言いながら器を集めていたっけ。。。

あ、地名がついているから、土地の土によって焼いた色も変わるのね。

炎色反応に関係あるのかな、

焼きものにもワインと同じようにテロワールがあるのね なんていろいろ考えてみる。

 

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伊賀水指 銘「慾袋」 1940(昭和15)年 石水博物館

この水指は割れた部分を青海波で継いであって素敵♡と思ったのですが

図録にあるご息女からの取材によると、 来客時に自作の道具で茶をたてる折々に水指や花生から水が漏ったとか。。。

 

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四方香合 銘「早春」 個人蔵

作品の多くが茶碗を占めていますが、茶入や香合もいくつかありました。

早春だから梅に見立てているのかな。

 

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茶杓 銘「乾山」 1941(昭和16)年 石水博物館

リーフレットに載っていた写真は、半泥子が敬愛した尾形乾山の名をとったこの茶杓ですが 私が気に入ったのは「うねうね」と名付けられた 本当にうねうねとねじれた木の枝の1本。

 

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「無茶」 個人蔵

陶芸においても自らを「素人」と称していた半泥子は、 あるとき占いで

「あんたは無茶星や」と言われたことを面白がり

無茶法師という名も用いていましたが、 実際は表千家宗匠に茶道を習っていたのでした。

ちなみに、洋画は藤島武二だって。

すんごいな、もう。

 

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「波和遊 (How are you?)」 1960(昭和35)年頃 石水博物館

これ、いいよね。

ほかに、

「喊阿厳(Come again)」「愛夢倶楽通志友(I'm glad to see you)」 「慶世羅世羅(Que sera,sera)

などもあり、ツボ。

 

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「蛙図(半泥子自画像)」 個人蔵

最後はこれ。 なぜ自画像がカエルなのかはわかりませんが 茶目っけが溢れていますよね。

このカエルちゃんのおかげで興味の幅が広がりました。

半泥子が川喜田家の収蔵品を展示するために建設したという石水美術館が来年リニューアルオープンしたら 津市千歳山まで行こうっと。

 

川喜田半泥子のすべて」は

4/3~5/30まで山口県立萩美術館・浦上記念館にて

6/8~7/25まで三重県立美術館に巡回します。

 

随筆 泥仏堂日録 (講談社文芸文庫)

随筆 泥仏堂日録 (講談社文芸文庫)

  • 作者: 川喜田 半泥子
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2007/03/10
  • メディア: 文庫
 

坂の上の雲』をお休みして今読んでいるのはこれ。 「日録」は、まるで半泥子のブログを読んでいる感覚です^^