宿場町からお城まで * 海野宿

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前記事のつづき 旅の後半です。 ヴィラデストで食事をすませ 「まだ時間があるね」 「上田の駅のあたり、ぶらぶらしてみる?」 大屋駅から乗せてもらったタクシーに 迎えに来てもらいました。
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「どこから来たの?」 「東京と横浜です」 なんて運転手さんと会話をしていたら 「この先の うんのじゅく に寄って行けば?」 「じゅく?」
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「塾」かと思ったら「宿」だったんですね。 東御市観光協会の資料によると、 海野宿は、寛永二(1625)年に北国街道は中山道北陸道を結ぶ 北国街道の宿駅として開設されたそうです。 明治時代にはいると宿場時代の広い部屋を利用して 養蚕・養種業がはじまり活況を呈し 昭和61年には「日本の道百選」 昭和62年には「重要伝統的建造物保存地区」 の選定を受けたそうです。 ↑これらはすべて後付けの知識であり その時は予備知識ゼロの真っ白な状態の私たち。
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お土産やさんで買ったポストカード。 海野格子と呼ばれる家の一枚。 一階部分の格子は旅籠として使われなくなった 明治以降に造られたものが大半だそうです。
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駅で見つけたパンフレットによると 上田にはフィルムコミッションがあり 公開したばかりの『ヴィヨンの妻 ~桜桃とタンポポ~』をはじめ、 多くの映画のロケ地になっているとか。
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古美術店を覗いてみる。 埃をかぶった品物もたくさん。 じっくり探せば掘出し物もあるんだろうなぁ・・・。
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こちらは本陣跡。 「本陣は殿様や大将が宿泊場所だったんだってね」 「うん、次の位の人たちが泊る脇本陣っていうのもあったらしいよ」 なるほどー。
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宿場だった当時の屋号をそのまま出している家がたくさん。 ここは亀屋さん。 赤いポストが現在の生活もちゃーんと息づいていることを 伝えています。
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これは「袖うだつ」。 防火壁の役割を持っていたということですが 裕福でないとできないことから 「うだつのあがらぬ」という言葉ができたそう。
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首にリードをつけた大きな 看板猫ちゃん。 どうやら脱走癖があるらしい(笑)
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お向かいの窓から覗いている間も ずっと観光客に可愛がられていました。 黒壁の蔵の右隣、 こちらに背を向けている人たちが囲んでいるのが その白黒猫ちゃん。
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私たちはこちらのお店でひとやすみ。
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ガラス工房の2階がカフェになっていました。 葡萄たっぷりの巨峰ソーダで しばしまったり。
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資料館で旅籠時代の様子や養蚕の歴史を見学し どうやらこの辺りが宿場のはずれみたい。 あれ、お地蔵様? と寄ってみたら
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媒(なかだち)地蔵という 縁結びのお地蔵様でした。 「同世代の男性ともご縁がありますように」 (4歳の王子様とは年齢差がありすぎるので・笑) と、手を合せ^^;
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お隣の白鳥神社へ。 日本武尊(やまとたけるのみこと)の伝説を縁起とする 海野氏真田氏氏神様だそうです。
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お土産に無人販売の二十日大根と 出店のくるみ大福を買って 「どうしよう、そろそろ新幹線の時間も迫ってきたね」 「まさかまだここに居るとは思っていないだろうね^^;」 大屋駅からヴィラデストまで ヴィラデストから海野宿まで送ってもらった同じタクシーに またまたお迎えのお願い。
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面倒見のいいタクシーの運転手さんの 「何時の新幹線?」 「3時23分です」 「待っていてあげるから上田城も見てきたほうがいいよ! 新幹線に間に合うように送ってあげるから」 というお言葉に甘えてたどりついたのが上田城 緑に囲まれたお濠の雰囲気も素敵。
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10分の約束なので急いで櫓をくぐります。
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その先は城址公園となっていて 正面には何やら神社が。。。。 神社を見かけたら手をあわせるのが習慣となっているので 吸い寄せられてみたら
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真田神社でした。 知識があればもっと楽しめたはず。 私の日本史の知識は鎌倉時代以降はアヤシイので 『真田十勇士』とか読んでくればよかったなぁ・・・。 ヴィラデスト以外は下調べもあまり出来ずに来た旅だけど タクシーの運転手さんのおかげで充実した一日。 素敵な出会いと、 サプライズにも柔軟に対応し 共に満喫してくれた友達に感謝♡
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さぁ、帰らなくっちゃ。 思い出に残る楽しい一日をどうもありがとう♡ また行きましょうね^^ では、また~