ニコライ堂拝観の会

その国の料理を深く知るためには、背景となるその国の文化を知ることが不可欠。

セルビア料理を職業としていると、お客様から食以外の文化について訪ねられることも多くありますが、知れば知るほど無知に気づくという有様で。

 

特に宗教は避けて通れないところ。正教についての知識があれば2015年のセルビア旅行も、もっと見るべきものがあったはず。

いまからでも遅くない、ということで日本セルビア協会主催「ニコライ堂拝観の会」に先日参加しました。

 

以下、見学と講話の際の、横浜ハリストス教会水野神父の解説より。

 

東京復活大聖堂は、帝政ロシアからの資金援助を受け主の復活を祈念して建立。功労者のニコライ主教の名にちなみ、建立された1884年当初から「ニコライ堂」の愛称で親しまれていたそうです。着工から7年の歳月を経て1891年に落成した当時は、東京で一番大きい建物であったが、関東大震災で内部が崩落。

昭和4年に当時の耐震建築技術を用い屋根を再建し、第二次世界大戦後から1970年代まではGHQによる政策の影響によりアメリカ人が主教をつとめていたため、正教会には珍しく窓にステンドグラスがあり(守護聖人のステンドグラスを飾ることを寄付の見返りとした)、壁面にフレスコ画がないなど、建築に特徴がみられるそうです。

その後、1990年代にも修復が行われ、現在の姿となっているそうです。

 

 

 

教会建築は必ず奥を東にし、太陽が昇る方向を向いて祈るつくりになっているのが世界共通のルール(=主は人類を照らす光)ということです。

3つに分かれた内部中央の聖堂部分の横が貼り出し、上から見ると十字架の形に建築され、天井は宇宙の象徴としてドーム型にし、ドームの形状は丸みのあるもの、縦長のもの、タマネギ型など国ごとに特徴がみられるそうです。

 

ニコライ堂内の写真撮影はNGのため、以下、教会内部の写真はセルビアで撮影したものを使用しています。

 

セルビアのソポチャニ修道院にて撮影)

聖堂内部は3つにわかれ、誰でも入れる入り口に近い場所が「啓蒙所」。

中央の一般の信者の祈りの場が「聖所」。その教会が祀る聖人のイコンが中央に置かれています。

聖所中央の台を、司祭が祈る場所=カテドラル(主教座)といい、転じて主教が居る教会をカテドラルと呼ぶようになったそうです。

 

 

セルビア ベオグラードにて撮影)

正教会において祈りは立って、または跪いて行うもの。基本的に椅子はなく広い空間になっています。ニコライ堂は稀な例として椅子がいくつか置かれていました。

 

 

セルビア コンチュール修道院にて撮影)

聖堂の最奥が、イコノスタスという壁の奥の「至聖所」。イコノスタス中央には「王門」という名の両開きの扉があり、奥の「至聖所」が天国というイメージだそうです。王門は祈りの時間に開けられ、必ず6枚の絵が描かれています。

中段には、天使ガブリエルにより懐妊が知らされる聖母マリア聖神女福音。上下4枚は聖マタイ、聖マルコ、聖ルカ、聖ヨハネの4人の福音記者ということです。

王門の上には最後の晩餐、右は聖書を開いて持つイエスキリスト、左はキリストを抱いたマリア、いちばん右に聖堂を建てた意味の絵画、通用口はたいてい天国をつなぐ扉の意味で天使が描かれることが多い(天使=神の伝令)ということです。

 

 

写真はニコライ堂に戻り、随所に掲げられている横3本の十字架は八端十字、ロシアンクロスとも呼ばれる、スラヴ系正教会の十字架です。上下の短い横棒は、イエス・キリスト磔刑に処せられた際に、頭上に掲げられた罪状書きの札と足台。足台が傾いているのは、同時に処刑された右側の盗賊(イエス・キリストの無罪を訴えた)を天国に連れて行ったことを示すために斜めになっているということです。

勉強になります。

 

 

ご案内くださった水野神父様は、真夏にも黒い修道服で涼し気(実際の着心地は暑いそうですが)。

講話では、奥の絵画に描かれたニコライ大主教についてお話しくださいました。

 

日本国内のキリスト教信者は100万人。うち正教会の信者は9,500人。日本は世界でもまれにみるキリスト教徒の少ない国だそうです。

 

日本に正教を伝えたニコライ大主教は、1861年坂本竜馬篤姫と同年の生まれで開国を機に函館のロシア領事館の神父として来日されたそうです。当時は日本人への布教は禁止されており、1861年に函館ハリストス正教会を設置。

明治になるとともに本部を東京に移転し、日本人に中等教育を授ける目的で神学校を設立(ミッションスクール)し、正教は日本人の卒業生が国内で宣教して広めたということです。

 

国内ではロシア出身の文化人としての位置づけもされており、聖書の翻訳はもとより、そのほかにも文学の翻訳や、正教会はパイプオルガンなどの伴奏はなく、アカペラでハーモニーを奏でるため、混声四部合唱のさきがけや、イコンを通じた西洋絵画の紹介など、教会がさまざまな文化の窓口となっていたそうです。

 

ニコライ堂では中央正面にイコンがあり、日本ではご遺体を聖堂内に安置できないため谷中墓地に埋葬され、葬儀には明治天皇から花輪が贈られました。1970年に列聖された際に蜜蝋で固めた腕の骨が聖堂内に安置されています。

 

正教会ローマ帝国のあった時代の暦(ユリウス暦)を採用していますが、日本では様々な国からの信徒が教会にみえられるため、クリスマス等は通常のカレンダーでも行事を行っているそうです。 

 

いままで法事などと重なり参加ができませんでしたが、行かねば。 

 

知れば知るほど、己の無知を知ることになる。

が、そのぶん知る楽しみも増えておりまする。

 

 

水野神父様、日本セルビア協会をはじめ関係者のみなさま、ありがとうございました。

 

東京復活大聖堂教会(ニコライ堂)

横浜ハリストス正教会 Yokohama Orthodox Church

 

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